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『ラブライブ!サンシャイン!! 2nd season』七話と永遠に残る記録と言う名の記憶

当たり前のことだが、物語に組み込まれなければ設定は所詮設定に過ぎない。いくら設定レベルでは面白くとも、その設定を物語の中に組み込み、血を通わせなければその設定は魅力的にはならない。設定は活かさなければ意味が無いただの文字列に過ぎないのである。
今回の『ラブライブ!サンシャイン!!』は素晴らしかった。Aパートを丸々使って「僅かに力が及ばず、廃校阻止が出来なかった」という挫折の物語を描き、Bパートでその挫折からの再生の物語をやる。CMで一旦流れが途切れる事を見越しての構成も上手かったし、一話で片付けてしまう事で後を引かなかったのも良かった。
その中でも特に素晴らしかったのは「廃校を阻止できなかった」という事実に血を通わせ、上手に肉付けして「Aqoursの物語」として再構築している点だ。元々凄い作品ではあるが、今回は本当に素晴らしかった!

そもそもアニメ放送以前から展開されていた電撃G'sマガジンの連載小説の頃からAqoursは廃校を阻止する事が出来ていない。2016年6月末に発売された『ラブライブ!サンシャイン!! FIRST FAN BOOK』においても複数人物が「廃校は決定済み」「無くなってしまう」と述べており、Aqoursはどれだけ頑張ったとしても「浦の星女学院は近いうちに廃校になってしまう」という事実は決定事項で、既に揺らぎようがない事実のようだ。
もちろんこれは雑誌展開では「決定済み」というだけで、アニメにおいてそれを踏襲する必要はないといえばない。現に雑誌連載では「Aqoursの活動が始まった時点で廃校は決定済み」だったものが、アニメでは「廃校を阻止できるかもしれない」というところからスタートするし、現在展開されている『2nd season』では「入学希望者数100人を突破すれば廃校が阻止できる」という具体的な目標が設定され、一話から六話まではその「100人」に向かって走っていく物語が展開されているわけで、「両者は基本設定を共有するものの別個の作品として制作されている」と見てほぼ間違いないだろう。
今回の七話でアニメでも「廃校決定」という結果となったことは「アニメが連載小説に合わせた」というよりも「基本設定の段階でそうだったものが、ようやくアニメでもそうなった(つまり予定調和だった)」という気がしないでもないのだが、それでも「彼女達の手が、指先が奇跡にあと一歩届かなかった」と言う事実に無力感を覚え、彼女達が悔しがる姿に共感してしまうのはアニメが彼女達を血の通った存在として描き、彼女達が一つ一つ不可能を可能に変えていく様を見せて「奇跡を起こせるかもしれない」として信じさせるような物語を紡いできたからだろう。これはアニメスタッフの功績だし、同時に演じるキャストの力があってこそだ。

こうした血の通った「挫折の物語」を丁寧に描いたことと同じぐらい、挫折から復活する物語の方も素晴らしいの一言だ。
「浦の星女学院を守りたい」という彼女達の願いには「この場所があったからこそ私達は出逢えた」という彼女達の確信も含まれていた。だからこそ彼女達は「私達が出逢えたこの場所を守りたい」と必死になり、「この場所で出逢えた私達の輝き」を追い求め続けた。しかしそれは叶わぬ願いとして水泡のように弾け、波に飲まれて消え去ってしまった。
「唯一無二の仲間と出逢えた場所すらも守れなかった」のだ。「私達ももっと輝きたい」を目的に始めたスクールアイドル活動への意欲すらも失われてしまっても無理からぬ事だろう。
浦の星女学院は力及ばず、無くなってしまう。しかし廃校が覆しようのない現実になったからと言って、Aqoursがやってきたことのその全てが無に帰すわけではない。少なくとも浦の星女学院はAqoursがいなければ全校生徒が「廃校阻止」と言う目的に向かって一致団結することはなかった。「廃校」という危機を自分達の力で打開しようと思うことはなかった。
だからAqoursが輝きを失った時、希望を見失った時、彼女達は自分達がAqoursの九人がしてくれたように希望を示す。
「この場所がここにあったという事を永久に残る歴史の中に刻みつけて欲しい」と。
たとえ浦の星女学院という場所が失われたとしても、「浦の星女学院のスクールアイドル」の記録は「そこに確かにあった」という記憶を蘇らせる。それは永久に「浦の星女学院」が存在し続けるのと同じことだ。廃校阻止と比較しても見劣りしないほど凄い偉業なのだ。

「終わらないこと」を求めた九人は「終わり」を受け入れ、仲間達の想いを背負って自分達に出来ることを目指して再び輝き出した。
決戦はアキバドーム。それは憧れたμ'sが切り開いた地平のその先にあるラブライブ!のステージ。
最後の最後の瞬間まで足掻き続ける彼女達が残す記録は、見届けたものたちの中でどんな記憶を残すのだろうか。
私は今万難を排して見届け無くてはならないという思いで胸がいっぱいである。


『シンゴジラ』地上波放送に寄せて

先日『シンゴジラ』がついに地上波放送されました。
「限られた放送時間の中にきっちりと収めなければならない関係上、結構なカットが入るのでは?」と危惧していたのですが、まさかのほぼノーカット! CMに入るタイミングも悪くなく、おまけにグランゼーラの『巨影都市』のCMまで挿入されるなど何とも「分かってる」感のある放送で、編集担当を始め今回の放送に尽力された関係者の方々の愛を感じざるを得なかったわけですが、まさか公開してから一年以上経過して再び「『シンゴジラ』と同じアプローチをした特撮作品のプレゼン」の熱量まで蘇ってくるとは思わなかった……! いや熱いプレゼンが多く、面白いから大好きなんですけどね!
この手の話で真っ先に名前が挙がるのは金子修介監督の『ガメラ 大怪獣空中決戦』『ガメラ2 レギオン襲来』『ガメラ3 邪神覚醒」の、いわゆる平成ガメラ三部作だと思うのですが、個人的にお勧めしたいのは小中和哉監督の『ULTRAMAN』ですね。

新たなウルトラマン像の開拓をテーマに円谷プロダクション自らが立ち上げた「ULTRA N PROJECT」。そのプロジェクトの中核を担う作品の一つとして制作された『ULTRAMAN』ですが、この作品で特徴的なのは『シンゴジラ』と同じように「もしも現実でフィクションとしか思えないような出来事が起きたとしたら」のシミュレーションを行っていること。
そのため本作には多くのウルトラ作品に存在するような防衛隊のようなものは存在せず、怪獣出現時に戦うのは自衛隊となっており、板野一郎が空中戦を演出したおかげもあってミサイルが板野サーカスっぽい軌道をしたり、ウルトラマンのピンチを直接的に救うなどやたら強い空自を見ることが出来ます。
「現実的な目線で制作された『ウルトラマン』第一話」「現実にもし怪獣が出現したら」という現実に足を着けた数々の描写に目がいきがちですが、柱に据えられた「愛する家族を守るためにウルトラマンと共に戦う覚悟を決める父親」という物語も熱いのでオススメです。
なお本作のその後の世界を舞台にした作品として『ウルトラマンネクサス』があり、こちらはハードな展開こそ多いものの終盤の怒涛の展開とハードな展開があってこその絶大なカタルシスから今もなお根強いファンを持つ作品に仕上がってますので、興味がある方はこちらも是非!

「大災害に立ち向かう人々を描いた作品」という視点から言えば『救急戦隊ゴーゴーファイブ』はいい作品ですね。
世紀の大災害である大魔女グランディーヌを復活させようとする災魔一族! そんな災魔一族が引き起こす災害から人々を守るために立ち上がった五人の兄弟達!父親が開発したアンチハザードスーツを着装した彼らは救急戦隊ゴーゴーファイブとして人々の命を救うために出動する!という粗筋の作品なんですが、この作品の最大の魅力は「敵と戦う事」が目的ではなく、「人々の命を救うこと」が目的なことですね。なので敵を目の前にしても優先されるのは救命活動で、敵と戦う事はどちらかと言えばメインではないというのがまた面白い。ゴーゴーファイブと敵との戦いが始まったらアナウンスが流れたりする描写もあったり、ゴーゴーファイブではないごくごく普通の救命救急士達と連携して人々の救命活動に励んだりという描写があったりする辺りに凄くシビれますね。
また敵は単体で地震などの大災害を起こすことが可能にも関わらず、主人公達の装備はその全てが科学由来なので敵に圧倒される事が多いのも特徴といえば特徴ですね。何度倒れても、何度傷ついても立ち上がって、人々の命=無限の未来を守るために戦う彼らの姿は格好よかったです。
ところでゴーブルーが絶対アマゾン殺すマンになって特撮にカムバックしたのは色々と面白かった。いや好きですけどね、『アマゾンズ』。

あとは『仮面ライダークウガ』はこの手のお話では外せないですね。
突如現代に蘇った超古代の先住民族グロンギがゲームと称して人々を襲い始めた。冒険家・五代雄介は遺跡から発掘されたベルトから感じ取った戦士のビジョンに導かれ、戦士=クウガに変身!人々の笑顔を守るためにグロンギと戦う!という作品なんですが、この作品の魅力は「人々の笑顔を守るために戦い、暴力は嫌う」という五代雄介の人間性もあるんですが、「恐れながらもグロンギに立ち向かう警察官達」という描写が終盤に至るまで徹底されている事ですね。
確かにグロンギは五代雄介=クウガでなければ対抗できない存在ではあるんですが、五代雄介は一般人なので神出鬼没なグロンギには対抗できませんし、中盤以降に目覚めた金の力は絶大なエネルギーを秘めている分、都市部で使えばそれだけで大きな被害を巻き起こしてしまう。この辺りを一条薫を始めとする警察と連携を取り合うことで克服し、グロンギ達に対抗していく!という作劇は色々な意味で衝撃でした。あと被害者側の描写が生々しい……。特にゴ・ジャラジ・ダ回あたりは台詞でとはいえ「訳も分からずに死ぬのが怖い」と発狂して自殺した人間の存在まで言及されているのがあまりにも……。おまけに「倒す」ということに解放感がないんですよね、この回……。

とまあ、色々と作品を上げてきましたが、特撮も長い長い歴史があるので、「もし本当にこういうことが起きたらどうなるのか」というアプローチした作品も数多く存在して面白いですね。また同じアプローチでもその時代ごとの現実が反映されていたりして、そういう部分もまた面白いところではないかと思います。
ところで変神パッドの仕様は現実に目にすると滅茶苦茶笑えますね……。これさえあればいつでも「宝生永夢ゥ!」が出来ると思うと愉快だ……。

  

『ラブライブ!サンシャイン!! 2nd season』六話に見る三つの物語と束ねるリーダーの資質について

『ラブライブ!サンシャイン!!』で巧みな点の一つに、「個々の物語をスクールアイドル活動へと集約させている」という点が上げられる。まず最初に高海千歌達のスクールアイドル活動があり、そのスクールアイドル活動に合流する形で「廃校阻止」という「浦の星女学院」という場所そのものの存続に関わる危機が生まれ、そしてかつての夢を今度こそ叶えたいという物語と共に三年生が加わった。
全ては同じ方向を向いている。しかしあくまでスクールアイドル活動が先にあり、その他の物語がそこに加わるという様式であり、それ以上でもそれ以下でもない。それだけにスクールアイドル活動の重要な舞台は、その他の物語においても重要な局面を迎えることが多い。それはつまりそれぞれの物語を集約させていく際には情報整理の技術が問われるということで、とりわけシナリオ周りにおいて大変な苦労があるわけなのだが、今回の話においてそのあたりは見事な采配だったと言うしかなかった。必要な情報を整理した上で、それぞれの比重も上手く振り分けられている。この上手さが監督由来なのか、それとも脚本家なのかはわからないが、過不足なくまとめてドラマチックな波を作り上げたのは見事の一言に尽きる。今回は一つの最終回といってもいい。最高だった。

今回特に注目なのは三つの物語を「ラブライブ!東海地区予選」というステージに集約させていたことだろう。
一つ目の物語は「浦の星女学院の生徒としての物語」だ。現在浦の星女学院は在校生徒数も入学希望者数も少ない。それを理由にした廃校の話が持ち上がっており、Aqoursの活動理由の一つにはこの「廃校阻止」が加えられていた。『ラブライブ!サンシャイン!! 2nd season』一話では、そんなスクールアイドル活動を通じての宣伝活動のおかげで入学希望者は増加こそしているものの、依然として少ない現状を受けて廃校阻止の動きが強いこと、そしてラストチャンスとして期日までに「100人」という希望者を集める事が提示されていたが、その期日となるのはなんとラブライブ!東海地区予選当日。にも関わらず、現在希望者は57人と目標とする数字に全く届いていないのだが、はたしてこのまま廃校になってしまうのか!?というのが浦の星女学院の生徒としての物語だった。
二つ目の物語は「リベンジの物語」だ。Aqoursは廃校を阻止するために、浦の星女学院全校生徒の思いを背負ってラブライブ!東海地区予選に挑んだものの、惜しくも手が届かずにここで敗退になってしまった。したがって今回の地区予選突破はAqoursの悲願である。おまけに今回の会場は前回敗れ去った会場と同じ会場だ。そんな奇縁もあって今回のリベンジマッチ否が応でも燃え上がる。
最後の物語は「かつて叶えられなかった夢の物語」だ。松浦果南、黒澤ダイヤ、小原鞠莉の三人はかつてスクールアイドルとして活動していたものの、友達のためであれば例え少し動かすだけで激痛が走るほどの怪我をしていても、「私なら大丈夫」と笑顔で言えてしまう小原鞠莉の将来を心配した果南によってそのスクールアイドル活動を終えることとなった。
今回Aqoursが挑戦することになったパフォーマンスは、そんな小原鞠莉に怪我を負わせてスクールアイドル活動を終える遠因を作ったパフォーマンスであった。事情が事情なだけにダンス周り全てを担当する果南も「これはやらない」と封じ込めていたものであるが、「今度は三人じゃない。それにあの時のAqoursとは違う」ということで封印を解禁。自分達が出来なかった事を今度こそ形にするために、そして地区予選を無事に突破するためにかつて叶えられなかった夢のAqoursを実現させるために行動を開始する。

以上の三つの物語はいずれも素晴らしく、Aパートを丸々使って描かれていることもあって、「地区予選に賭けるAqoursの思い」は伝わってくる。
しかしながらこれらの三つの話は大局的なものであり、「Aqoursに背負わされているもの/背負っているものの物語」でしかない。それをまとめ上げるにはもう一つ、何か別の物語が必要だ。その「何か」になったのが高海千歌の「リーダーとしての資質」の物語だ。
作中で本人は述懐しているように高海千歌は普通だ。Aqoursの他の八人と比べると特別なものは何もない少女だ。「私は特別なんかじゃない」と最初に発表されたオーディオドラマでも語っていたし、アニメの一話でも「私は普通。普通怪獣」と自嘲気味に述べていた。しかし彼女が「スクールアイドルを始めよう」と言わなければAqoursは生まれなかったし、彼女が行動しなければAqoursは多くの人々の物語を受け止める存在になることはなかった。彼女は普通だ。特別な力も他よりも秀でた能力も持たない。しかし最初の一歩を踏み出そうとした事、そしてその最初の一歩が他の誰かが一歩を踏み出すための理由となれたのならば、それはきっと特別なことであり、きっかけをくれた人もまた特別な存在なのである。
そんな「普通だからこそ特別」な高海千歌のリーダーとしての資質を持って三つの物語を束ね、よりドラマチックなものへと変えてきた酒井監督を始めとするスタッフの手腕には恐れ入る。どれか一つ欠けてもおそらくここまでの感動はなかった。
そんな酒井監督をリーダーとするチームは、Aqoursが決して手の届かない光に指先程度でも触れた時にどんな煌めきを生み出してくれることだろうか。物語は半ばを超えたばかりで、先はまだ見えないが楽しみだ。

Appendix

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■DREAM WING(C87新刊)


■プリズムアライブ(C86新刊)
44829979_m.jpg
とらのあなで委託中

■スイッチオン!(C85新刊)
アイカツ3
とらのあなで委託してました

■RUNWAY
表紙
とらのあなで委託してました

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    面倒くさがりなので、Twitterのほうが捕まります。

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