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『劇場版アイカツ!』『シン・ゴジラ』に見る作中のリアルを逸脱する快楽について

夏コミで頒布したプリパラ二周年記念本『ビューティフルワールド』ですが、とらのあなさんで委託することになりました。『ビューティフルワールド』の注文はこちらからどうぞ

今回の本は『プリパラ』の二周年ということで、アニメもゲームも映画も各種イベントもプリズムストーンの展開についても収録しておりまして、「『プリパラ』の二年目ってこんな感じだったよね」と思える一冊になってますので、プリパラアイドルの方々はもちろん、「『プリパラ』ってつまるところなんなの?」という方も楽しめる本になっていると思います。
なお例によって再販予定は今のところ無いので、出来る限りお早めに。一冊といわず二冊買っても良いんですよ!!

それはさておき。冬コミの申し込みは無事に完了しております。サークルカットは諸事情により使いまわしましたが、今回こそ受かりたいな、と。流石に二回連続で落ちたので三度目の正直はあると信じております。というか当選しないと仕事量が減らないので本当になんとかこう……。
とりあえず冬は何冊か出したいですね、はい。



『劇場版アイカツスターズ!』と同時上映された『劇場版アイカツ!ねらわれた魔法のアイカツ!カード』は『アイカツ!』ファンにとって最高の気分にさせてくれるファンムービーだった。
この『劇場版アイカツ!』は霧矢あおいがプロデューサーを務め、星宮いちごがメガホンを取り、紫吹蘭が撮影を担当する映画に主演する事になった大空あかり・氷上スミレ・新条ひなきの三人がキーアイテム「魔法のアイカツ!カード」を追いかけていく中で様々な騒動に巻き込まれていくドタバタコメディドラマで、服部ユウや西園寺つばきなど『アイカツ!』に登場したほぼすべてのアイドルが出演し、クライマックスにはアイドル25人によるライブパートが用意されているなど『アイカツ!』を追い続けてきたものにとっては至福とも言える最高の時間を楽しませてくれた。
実に『アイカツ!』らしいファンムービーとなったこの『劇場版アイカツ!』だが、この作品を鑑賞中に自分の脳裏に浮かんでいたのは『アイカツ!』ではなくある別の作品だった。
その作品とは『シン・ゴジラ』だ。自分でもなぜ『シン・ゴジラ』が思い浮かんでいたのか疑問だったのだが、自分には『劇場版アイカツ!』も『シン・ゴジラ』も「積み上げてきたリアリティを逸脱する事で快楽を発生させる」という点では同じように見えていたのだ。

『シン・ゴジラ』は簡単にいえば「我々の世界と酷似した日本にゴジラが出現し、日本政府はこの突然現れた虚構のような存在――ゴジラへの対応を迫られる」という物語で、作中世界と我々の世界と地続きであるかのように見せるために綿密な取材を積み重ね、あたかも本当にゴジラが出現したかのような現実感のある世界を作り上げている。
緻密に作り上げられた画面の向こう側では本当に起きているかのようなリアリティは僅かな時間で東京を壊滅状態に追いやるほどの力を持つゴジラを更に恐ろしく見せるのだが、しかしそんなゴジラも巨大不明生物特設災害対策本部を始めとする日本や世界の人達の活躍によってその能力を暴かれ、虚構の存在から次第に「生物」という現実寄りの存在へと変化していく。と同時にゴジラに対抗する政府や日本の人々はというと現実の存在からゴジラに引っ張られる形で虚構寄りへと変化していき、その変化は物語のクライマックスとなるヤシオリ作戦で昇華される。
「無人新幹線爆弾」に「無人在来線爆弾」。冒頭から中盤にかけて描かれてきた世界とは明らかに異なる世界の発想から生まれた数々の兵器を用いたヤシオリ作戦は、生物としての生態を暴かれて現実に寄りかかり始めていたゴジラを絡めとり、現実の世界へと叩き落としていくのだが、このヤシオリ作戦がどこか痛快な印象を受ける映像に見えるのは、それまで積み上げてきたリアリティをあえて逸脱した映像になっているからだろう。
虚構=ゴジラが生態を暴かれて現実に寄った存在へと変化するように、現実=日本も虚構を受け入れて変化していく。
そうした変化をあの短い時間の中に詰め込み、「我々の世界と地続きであるかのような現実さのある映像」から「虚構と現実が共存する映像」への変化を表現しているからこそ、ヤシオリ作戦は緊張感を漂わせながらも、どこか気持ち良さを感じる映像に仕上がっているように思うのだ。

そんな『シン・ゴジラ』に対して『劇場版アイカツ!』は、三年半と言う年月を積み重ね、ファンとスタッフの間で半ば共通認識となっていた「アイカツ!世界」というものからあえて逸脱する。アイカツ!の世界は拡張現実を用いた空間演出システムであるアイカツ!システムがあるなど部分的に技術が進歩している以外は我々の世界とこれといって変化のない世界ではあるが、この『劇場版アイカツ!』では三年半に渡って描かれてきたアイカツ!システムを始め、あらゆる要素が三年半にも渡って共通認識にまで昇華された「アイカツ!世界でのリアル」を逸脱していく。
ティラノサウルスとスピノサウルスが出てきて戦ったりもするし、ドラゴンが登場して空を飛んだりもする。一応作中で自己言及的には「これはアイカツ!なのか?」と突っ込まれ、「新しいアイカツ!システムのおかげである」と切り返されているが、「ファンムービー」であることを利用して「これまでのアイカツ!世界ではあり得なかったもの」を次々と繰り出していく様は、グルーヴ感があって実に楽しい。時たま正気に戻ったかのように本来のリアリティを取り戻しており、畳み掛けるように繰り出される新たな展開も合わさってジェットコースターのようだ。

『劇場版アイカツ!』も『シン・ゴジラ』も、どちらも見に来た観客を楽しませる事に心血を注いだ素晴らしい作品だと思う。そんな二作品が自分の中で繋がった事は何の因果かさっぱり分からないが、忘れないようにするためにこうしてメモをしておく。万に一つ、いや億が一つにも無いと思うが何かの役に立てば幸いである。



『ラブライブ!サンシャイン!!』Aqoursの未熟さと千歌の悔しさと続ける理由について

『セブンズストーリー』というソーシャルゲームと出会ったのは友人達が「面白い」という話をしていたからだった。ならばとやり始めたところ、そのストーリー運びの面白さとゲームの面白さにたちまち夢中になった。「ソーシャルゲームにおけるシナリオ」というものが生まれ始めていたそんな時代においてシナリオやゲーム性という面白さを兼ね揃えていた『セブンズストーリー』は自分にとって革新的なタイトルに見えた。グラフィックこそお世辞にもいいとは言えなかったものの、それ以外の点において『セブンズストーリー』は本当に凄かったのだ。
そんな『セブンズストーリー』が再び戻ってくるというのは本当に驚きだった。なにせアクティブユーザー数は明らかに少ないゲームで、一部の好事家達が褒めているぐらいのゲームである。そんな『セブンズストーリー』を再び動かそう、今のソーシャルゲームに合わせて作りなおそうというのはクレイジー以外に何物でもない。サイゲームスはどうしようもないぐらいにロックである。
今日公開された動画を見る限りではセブンズストーリーらしい作品のようだが、今のソーシャルゲームとなった『セブンズストーリー』がどのような展開をたどるのだろう。胸をときめかせながらサービス開始の日を待ちたい。

それはそうと、とらのあなでプリパラ二周年記念本『ビューティフルワールド』の予約が始まってます。
一つ、よろしくおねがいします。



ついにAqoursファン待望の1stライブの概要が発表された『ラブライブ!サンシャイン!!』。1stライブでありながら横浜アリーナ、それも2Daysと「最初のワンマンライブ」とは思えないほど大規模のライブイベントであるが、既に『ラブライブ!』ではなく『ラブライブ!サンシャイン!!』としての人気と実力を確立した今のAqoursならば、この規模にも見合うものを見せてくれることだろう。
最速先行申込券はアニメBD一巻及び二巻に付属するという。Aqoursにとって最初の大きなステージ。出来る限り見届けたいところだ。
現実世界のAqoursがワンマンでの1stライブ実現へ向けて動き出している一方、アニメのAqoursは今逆境の中であがき続けている。
6話で明らかになった浦の星女学院の統廃合に、7話で現れた圧倒的実力を持つスクールアイドル「セイントスノー」。Aqoursが今置かれている状況は『ラブライブ!』時のμ's以上に辛い状況であり、東京にやってきてまで参加したスクールアイドルイベントではセイントスノーやラブライブ!出場経験のあるスクールアイドル達はおろか、全ユニットの中で最下位、それも獲得票数0というなんとも辛い結果になってしまった。自分達でオリジナルソングを作り、自分達でオリジナルの衣装を作り、努力の日々を積み重ね、その結果として招待された東京で得たものが「ラブライブ!出場は夢のまた夢。Aqoursの実力は全国レベルとは程遠い」というのはなかなかに酷な話だ。しかしそれ以上にAqours、特に高海千歌にとって酷なのはセイントスノーの二人から投げかけられた「バカにしないで。ラブライブ!は、遊びじゃない!」という言葉だろう。

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Aqoursも高海千歌も「スクールアイドル」には真剣に向き合い、自分達のスクールアイドルになるために必死に努力してきた。しかしその努力の結果をステージの上で見せても、本気でスクールアイドルに取り組んでいる少女達にはその本気さは全く届いていない。本気でラブライブ!を目指す者達からは「スクールアイドル未満の存在」としてしか見られていないのだ。
言うなれば彼女達にとってはAqoursは前座どころか「何かの間違いで紛れ込んでしまった集団」なのだろう。接し方がどこか見下しているかのようなものだったのも、彼女達がAqoursを「自分達と同じくラブライブ!を目指すスクールアイドル」として認めていなかったからだとすれば説明がつく。
セイントスノーの厳しい言葉と全スクールアイドル三十組の中で最下位という苦い経験、そして獲得票数0票という悔しい思いを胸に沼津へと戻る事となったAqoursの六人。しかし大切なのは「『自分達の努力や思いは誰の心にも響かなかった』という現実を踏まえて、ここから先をどうしていくか」だ。
悔しさで涙を流す中、高海千歌とAqoursが出した答えは「これからも続けていく」ということだった。
何が出来るかは誰にも分からない。μ'sには出来た廃校阻止を自分達が出来るかどうかもわからない。スクールアイドルを続けていった先に何が待っているかも分からない。しかし「続けなければ一生分かることはない」。だから分かるようになるまで、何が待っているのか見えてくるまで続けてみる。
「0を100にすることは難しくても、0を1にすることは出来るかもしれない」という可能性を信じて続けようとするAqoursの姿は、セイントスノーのような「ラブライブ!」と言う具体的な目標のために己に厳しい試練を課せる人間にとっては到底「スクールアイドル」と認められないものなのかもしれない。しかし「スクールアイドルを目指して活動を続けていく」という理由としては十分すぎる答えだ。
いつかAqoursにも獲得票数が0票から1票になる日が来るだろう。
東京というステージを経験し、見えるものが広がったAqoursならばその1票の意味と価値が分かるはずだ。
その意味と価値を噛みしめる時までAqoursはまた走り続ける。スクールアイドルという太陽に向かって。

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Aqoursの物語については以上の通りだが、『ラブライブ!サンシャイン!!』8話で面白かった点がもう一つある。
それは黒澤ダイヤ・小原鞠莉・松浦果南達三年生組の高海千歌とAqoursに対する三者三様の接し方だ。
この8話ではダイヤ、鞠莉、果南の三人がかつてスクールアイドルとして活動し、そして失敗した過去が明かされたが、三年生組のそれ以降の動き方は三者三様であり、それぞれの性格や考え方の違いが現れていてとても面白い。
鞠莉はAqoursに対して具体的な試練を与える。ファーストライブを開催し、そこできちんと実力を見せることが出来れば認めて部室を与えるなど、理事長としての権限を活用してAqoursのスクールアイドル活動を時に試しながらも支持するような立ち位置に収まっている。その行動の根底には8話で鞠莉自身が語っているように「失敗した経験」があり、「あの日々を取り戻す」という目的がある。だから彼女はAqoursを支援することで場所を守ろうとしているのだ。
一方、果南はAqoursに対して消極的な接し方をしている。「他の人間には(千歌の場合は幼馴染である事も関わっているのだろう)傷ついてほしくない」とスクールアイドル活動そのものに否定的な見解を述べる。過去の苦い経験が彼女のスクールアイドルへのイメージを構築しており、それゆえに千歌達を止めようとしているのだ。
ダイヤは鞠莉のように支援しながらも、果南のような一面も持っている。彼女達が未熟であることを何度となく指摘するなどAqoursの成長を手助けしたり、ルビィがスクールアイドルをやりたいと言い出した時には応援するような一面も持ちながら、当たり方はどこか強く、指摘も的確でAqoursに対しては厳しく指導する。そこにはダイヤなりの優しさがあるのだろう。
厳しく当たることで潰れるのであれば自分達と同じような思いをしなくて済むし、仮に乗り越えていくのであれば自分達のように失敗することもない。そういう思いからダイヤは厳しくAqoursに当たる。彼女の行動は不器用ではあるが、鞠莉とは違う支援のやり方なのだ。

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『ラブライブ!サンシャイン!!』も後半戦に突入している。三年生組がどのような過程で自らステージへと上がり、合流するのか見届けたい。









『ラブライブ!サンシャイン!!』期待と重圧と梨子の変化について

『シン・ゴジラ』の応援上映会の話。「応援上映会」自体は今年のトレンドと言ってもいいものなので、『シン・ゴジラ』で開催されても別段おかしなものではないのだが、『シン・ゴジラ』の応援上映会で素晴らしい点は応援上映会に「発声可能上映会」という名前を与えた事だ。この「発声可能上映会」の何が素晴らしいのかというと、物凄く「役所仕事っぽい」のだ。
既に視聴している方は分かる通り、この『シン・ゴジラ』という作品は日本に出現したゴジラを政府や役所が一丸となって対抗する作品なので、出てくる名前も当然「役所の与える名前」ということで意味は分かるが単語が連なっていて長い。主役となる巨災対にしても正式名称は「巨大不明生物特設災害対策本部」である。長い。意味は分かるがとにかく長い。そんな役所の仕事っぷりを描いた『シン・ゴジラ』の応援上映会に物凄く役所っぽい「発声可能上映会」という名前を付けてしまうこのセンス。素晴らしいというしかない。作中でも「名前が大事」という台詞が出ていたが、全くその通りである。「発声可能上映会」という役所っぽい名前を与えられた事で、『シン・ゴジラ』の応援上映会は「役所の仕事っぷりを見学するもの」となった。最高か。
今後は全国展開していってほしいところではあるが、どうなるのかなぁ。



期待と重圧は表裏一体なものだ。期待をされればされるほど背負う重圧は大きくなり、「期待に応えなければ」と思えば思うほど「自分にできる事」を見失ってしまう。「期待」は何らかの結果を残した人間に対する周囲からの「祝福」であると共に己自身が課してくる「試練」とも言えよう。重圧を跳ね除け、周囲からの期待に応えたその時、人は今よりも更に上のステージへと登る権利を獲得するのだ。

『ラブライブ!サンシャイン!!』の七話となる「TOKYO」はそんな「期待」と「重圧」について描いた一話だ。
ランタンを用いたプロモーションビデオの成功により一躍注目を浴びる事となった高海千歌達六人に舞い込んできたのは、東京で開催されるスクールアイドルイベントへの出演依頼。これに出ればより高みへと近づくことが出来るはず!と考えた六人はこの出演依頼を受諾。地元の友人や家族の期待を胸についに東京へと降り立つ! 地元の沼津にはない制服や黒魔術アイテムといった様々なものや、高層ビルなどの沼津とは異なる環境に翻弄される六人をコメディタッチに描きつつ、「μ'sがいた場所」として改めて「秋葉原」という場所を捉え直し、千歌が初めてμ'sを見てスクールアイドルになろうと志した始まりの場所にて今年のラブライブ!が開催されることが告げられるなど、「沼津のスクールアイドル」から「沼津から全国へと羽ばたきだしたスクールアイドル」と確かな成長を見せたAqoursに相応しい「次のステージ」を示唆する展開が熱い展開が目白押しではあるが、この七話で注目なのは冒頭でも触れたように期待と重圧について語り合う千歌と梨子の姿だろう。
桜内梨子は幼少期から続けてきたピアノが評価され、中学時代には全国大会出場を成し遂げるほど実力のあるピアニストであった。しかしその「全国大会出場」という結果が、周囲からの期待を生み出し、その期待に応えようと躍起になるあまり彼女は重圧に押しつぶされ、逃げてきた先にあったのが沼津であり浦の星女学院であった。
一方、高海千歌は自他共に認めるほど「普通の少女」である。おそらく周囲から期待されている事を実感するような機会はそれほど多くなかったのだろう。そんな千歌だからこそ期待と重圧に押しつぶされてしまった梨子の事情を聞いても「寄り道」としてスクールアイドル活動という道を示す事ができたといっても過言ではないのだが、この語り合うシーンで重要なのは高海千歌も桜内梨子もスクールアイドルを始めてから今日に至るまで、少し変化しているように描かれていることだ。
高海千歌は前述したように「期待された事」はそれほど多くはない人生を送ってきたように思うが、今回の東京遠征の際には「周囲から期待されていること」を知り、その重圧と辛さを経験し、重圧に押し潰されてしまった経験を持つ桜内梨子に共感にも似た感情を寄せているように描かれているし、桜内梨子は桜内梨子で周囲からの期待とその期待に押し潰されてしまった経験をある程度客観的に語れるように変化している。
これは高海千歌も桜内梨子も、スクールアイドルを通じて以前よりも変化・成長している事を示唆するものなのだろう。そしてこの千歌と梨子の成長・変化を感じさせる描写があるからこそ、ラブライブ!開催決定のニュースが「次の物語の始まり」を予感させるものに映るのだ。
この七話はラブライブ!に出場してμ'sのように廃校を何とか阻止するべく、まずはスクールアイドルイベントで上位を目指そうとするAqoursに「セイントスノー」というスクールアイドルが挑戦状を叩きつける展開で幕を下ろしているが、次回予告のタイトルは「くやしくないの?」と意味深なものとなっている。
「くやしくないの?」という言葉は「誰が誰にかけた言葉なのか」で意味合いが変わってくるものではあるが、何にしてもAqoursにとって不運な展開になることはまず間違いないと見ていいだろう。
ここまで順風満帆と言ってもいい道を歩んできたAqours。逆風の中に何があるのだろうか。

余談だが、この七話では『ラブライブ!』でも見られた「視点となるキャラクターの心の機敏が自然現象・物理現象として表現されている」という演出が登場している。具体的なシーンとしては神田明神の階段を登り切った千歌の前にセイントスノーが現れるシーンだが、このシーンではセイントスノーの口ずさむような歌を聞いただけで千歌に向かって強い逆風が吹き込む演出がされている。
これは「歌を聞いただけでセイントスノーの実力に圧倒されている」と言う表現であり、ひいてはセイントスノーが強者であることを伝えるための演出だ。

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こうした演出は分かりやすい反面、あまりにも乱発しすぎると面白みが薄れてしまうものだが、『ラブライブ!サンシャイン!!』ではここぞというタイミングでしか使われておらず、非常に有効に使われているように思う。
特に今回はAqoursのライバル候補となりうるセイントスノーとのファーストコンタクトのシーンで使われているため、彼女達二人の実力が如実に感じられる、素直で素晴らしい使い方だった。
今後共こういう使い方の演出に期待したい。

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Appendix

魔界戦線


■DREAM WING(C87新刊)


■プリズムアライブ(C86新刊)
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とらのあなで委託中

■スイッチオン!(C85新刊)
アイカツ3
とらのあなで委託してました

■RUNWAY
表紙
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プロフィール

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