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5年前のFate/Zero論

『Fate/Zero』のアニメが最終回を迎えたので、五年前にかーずさんの同人誌に寄稿したFate/Zeroの話を書き直して載せてみる。
描き直すのは五年前の稚拙な文章は恥ずかしいからというだけなので基本的な趣旨は弄ってないつもり。



『Fate/Zero』は衛宮切嗣の物語であるという事実は疑いようもない事実である。
またそのさだめが変えようがないものであることもだ。
『Fate/Zero』はZeroに至る物語であるがために、衛宮切嗣はその運命を変えることがたとえ作者であっても出来ない。Zeroに至るということは同時に、これは「始まりに至る物語である」ということだからだ。
始まりに至ってもいない物語はどうやっても変えようがない。
ではこの物語が悲劇であるとして、衛宮切嗣は救われていないのだろうか。
彼は悲劇を悲劇として受け止め、そして悲しみ嘆きその果てにその生涯を終えたのだろうか。
そうではない。
衛宮切嗣の生涯は悲劇であったのかもしれない。だが彼の最期はきっと救いにあふれたものであったに違いない。
なぜならば衛宮士郎がそこにいたからだ。

Zeroの主人公である衛宮切嗣と本編を担う主人公の衛宮士郎は悲しいほどに似通っている。
共に正義の味方に憧れたものであったということもあるが、衛宮士郎と衛宮切嗣の共通項はそこではない。
衛宮士郎は第四次聖杯戦争で家族を失い、奇跡的に一命を取り留めたという経験を持つ。その事が彼の「多くの人間が死んだ中、生き残った自分は彼らの命に報いなければならない」という呪いじみた信念に繋がる。その信念が故に彼は自分を投げ打ち、誰かのために行動してしまう「正義の味方志願者」というべきアイデンティティを獲得している。
一方で衛宮切嗣は自身の父親の暴走により自身の第二の故郷とも言える存在となりつつあった村を滅ぼされ、自分一人だけ生き残ったと言う経歴を持つ。
彼らは共に「外的要因により全てを失う」「多くの犠牲が出た災害で一人だけ生き残る」と言う経験を持つ。彼らは歩んだ道こそ違えど、内面的には同じ運命を歩んだ存在と言っても過言ではない。

衛宮切嗣は自身の手により、同じ事を繰り返そうとする父親を殺害し、ナターリアを師匠として戦場に身を置く道を選んだ。その果てに彼は死徒を世界に放たないためにナターリアを殺害するという運命をたどる。
彼は利口であり、そして生粋の狩猟者であったがために、「それが多くの人を救う」という決断を躊躇なく実行する事ができた。その事が彼の運命を大きく変えている。
「多くの人のために少なかった人を殺す」
彼は思春期にそのような経験をしてしまったがために、それ以外の道を選べなくなったのだ。
だからこそ彼は殺し続けなければならなかった。
殺すことをやめることは、そのまま彼が今まで殺してきた「一人でも少なかった者達」に対する冒涜になるのだから。
そんな運命から逃れる事ができるのだろうか。
出来るはずがない。少なくとも人の理では不可能と言える。
切嗣はそれを痛いほど理解していた。だからこそ衛宮切嗣は聖杯に縋ったのだ。
かくして衛宮切嗣は第四次聖杯戦争と言う戦いに身を投じる事になり、その戦いの果てに衛宮切嗣は聖杯の真実を知る。そして全てをかけてでも手に入れたいと願った聖杯を破壊し、衛宮切嗣本人の信念、家族、過去のそのすべてを失うことになる。

言うなれば彼は「自身の手で悲劇を創りだしてしまった」という一点における悲劇の主人公といえる。
だが彼の人生は無駄でも悲劇であったわけでもない。
彼は人生の最期に衛宮士郎という少年と出会う。
全てを失い、生きる理由がなくなっても、彼は悲しいまでに「正義の味方」であった。
悲劇を生み出してしまった自分に出来ることを探し続け、そして衛宮切嗣は衛宮士郎と出会う。

……その顔を覚えている。
目に涙を溜めて、生きている人間を見つけ出せたと、心の底から喜んでいる男の姿。
―――それが、あまりにも嬉しそうだったから。
まるで、救われたのは俺ではなく、男の方ではないかと思ったほど。

そうして。
死の直前にいる自分が羨ましく思えるほど。男は何かに感謝するようにありがとう、と言った。 (Fate/Zero四巻407~408Pより)


衛宮切嗣は第四次聖杯戦争によりその全てを失った。その彼の「ありがとう」の意味するところはなんだろうか。
少なくとも。この段階での「中身を失った」衛宮切嗣が得たものは自己欺瞞であったというしかない。
「少なくとも自分は士郎を救えた」と。
彼のこの行動を「罪滅ぼし」だと言峰綺礼は述べているが、彼の意見は正しい。
この悲劇を招きよせたのは衛宮切嗣であるのだから、彼が士郎一人を助けても所詮は罪滅ぼしだ。
その事実に対する「ありがとう」は欺瞞でしかない。
だが彼にはそれでよかった。少なくともこの時点では。

では衛宮切嗣はその生涯の最後に得たものは自己欺瞞だったのか?
否。彼が得たものはもっと尊いものだ。
そして『fate/Zero』と言う物語は、その「尊いもの」へと至る物語である。
それは衛宮士郎が、衛宮切嗣が幼き日に胸に懐いた『正義の味方』への憧憬であり、誓いであり、誇りであり。そして衛宮士郎が衛宮切嗣から受け継いだ「心」にほかならない。

そしてそれが切嗣が最後に手にいれた『安堵』の正体なのだ。
「彼ならば大丈夫だ」という絆の象徴なのだ。

この物語は悲劇であったのかもしれない。
だが衛宮切嗣の生涯は悲劇などではない。
彼が勝ち得た「始まり」は彼の全てを誇れるものに変えたのだから。

――ケリィはさ、どんな大人になりたいの?――
――僕はね、、正義の味方になりたいんだ――

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