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『ラブライブ』五話で描かれたアイドル理論について

アニメ版『ラブライブ』五話が放送されたわけなんだけど、この五話が贔屓目なしに見てもえらく完成度の高く、そして面白い一話だったので、例によって構造的な話とトピック的な話を書いておくこととする。
まず構造的には極めてオーソドックスなお話だといえるだろう。骨子としてはなんかよく見るけど、「失敗した師匠が純粋無垢な押しかけ弟子にほだされて共に成長していく」という物語骨子であるが、そういう意味では「三年組=先輩」の中でも「アイドル好き」という要素が元々あった矢澤にこをこの構造における師匠枠に据えて、彼女の挫折やら何やらを描き、彼女が後輩と共に尽力していく「場所」として「μ's」を与えたのはまあ上手いチョイスのさせ方だし、アイドル要素の混ぜ方としても見事だといえる。
というか「アイドル好き」という要素が花陽に追加されていて、元来にこが持っていた「アイドル好き」という要素がどうなったのか割と心配していた所ではあるんだが、まあ方向性の違いというか年季の違いというか、まあ先輩らしい立ち位置に収まっていたのが好印象。
ところで今回はちょっとスタッフは放水を頑張りすぎて癒しませんか? 何リットルぐらい使っていたのか気になるところです。
まあ雑感はこの辺にして真面目に五話について見ていくこととしよう。

あ、内容についてはバンダイチャンネルなら一週間ぐらい見れるんで、そっちを確認してから読むことをおすすめします。

▼バンダイチャンネル ― ラブライブ





▼にこを通じてキャラクターの別の一面の展開へ

ラブライブ四話では渡邉哲也氏が絵コンテを担当していたわけなのだがしかし五話では一話~三話までを担当した京極監督は再び手がけている。
まあ一話~三話までも京極監督が絵コンテを書いているし、もっといえばPVの頃から京極監督が参加しているわけで。そういう意味ではシリーズ全体で見ると花陽達一年組が中心になっていた四話が良い感じに浮く構成担っているのは非常に面白いんじゃないかと思っている。
ところで、この五話で面白かったのは物語自体をにこを中心にして駆動させる事でμ'sメンバー全員の別の一面を描いていることかなーと思う。
一話から三話までは穂乃果が中心軸となって物語が進んでいて四話は花陽が中心になっていたのだが、五話は面白い構成になっていてAパートの視点は穂乃果側なんだけど、Bパートの視点は大体にこに固定化されていて、チェイスシーンもそうだけど、「全員でにこを褒め殺しにする」というシーンではそれぞれのにこへのアプローチのさせ方できちんと個性が出ている辺りはよかったかなーと。

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しかし花陽とにこのアイドル好きな部分は結構違っていて、花陽はオタクとしてはデータ型でにこは思い入れ型なんじゃあないかなー。
まあ元々アニメ化以前に公開されている情報に花陽にアイドル好き設定はないので、創作作品説を取る人間としてはあの辺は相当弄ってるし、花陽に対して無茶ぶりしすぎだなぁ、とか思うけど、その辺をちゃんと演技でカバーしてるので満足だなぁ。


▼にこの語る『ラブライブ』のアイドル理論とは

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「あんたたち、ちゃんとキャラ作りしてるの?」

今回の五話で最も語らねばならないところはにこの語るアイドル理論だろう。
にこの語るアイドル理論は要するに「アイドルはキャラクターを作っていなければならない」ということなのだが、これに関しては正しい見解といえるだろう。
今のアイドルといえばももいろクローバーZとかAKB48とかになるわけなのだが、これらのアイドルユニットにおいてキャラクターを作る――もっと言えば自分だけの個性を作り出すということは極めて重要なものになっている。
なぜかというとアイドルユニットというのは突き詰めていくと「女の子のカタログ化」になるわけで、カタログ化された中で人の目を惹きつけるためには個性がないと目立たずに没個性化していく。
個性が出せないということは厳しい言い方をすればいてもいなくても一緒ということになってしまう。
μ'sは九人だが、九人の中でも個性が被ってしまうと弱い方の個性というのはやっぱり強い個性の前には霞んでしまって、カタログ化されたアイドルユニットの中では目立たない存在になってしまう。
だからこそアイドルユニット――というかアイドルは矢澤にこが語るような「キャラクター作り」をする必要がある。
この「キャラクター」という事が難しければその人の持つ「世界観」や「物語」と言い換えてもいい。
その人だからこそ成立する物語や世界観=個性強調する事がアイドル性とでもいうべきもので、キャラクターを作っていない素の自分だけをさらけ出しているあの時点でのμ'sはそういう意味では「アイドルらしくない」ということになるわけなのである。
だからこそ、「そういうことじゃない」や「プロ失格」というにこの批判とその根っこにあるアイドル理論は至極真っ当で、正しいものということになるのだ。
そりゃアイドルはキャラ作りをするのが当たり前なんだから、それをしていない五話時点でのμ'sは文字通りプロとしての意識が足りないし、アイドルとしては失格という事になるわな。

また別の観点からいうと、振付師の竹中夏海氏は自著の中でアイドルダンスはアイドルの個性を出すものと語っている。


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竹中 夏海

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この観点から言えばアイドル自体の個性がなければ、いくらダンスが上手くともアイドルとしてアピールするべきものがないし、いてもいなくても同じ存在になる。
逆にいえばしっかりと作り込まれた個性を持っていれば、ダンスが下手でもアイドルらしい魅力をダンスに込められるということになる。
またこの本ではアイドルを「自分を客観視し、内面を身体を媒介として魅力的に見せ、伝える存在」としている点も興味深い。
「客観視する」というプロセスを挟み、魅力を「表現する」という『アイドル』は、「身体全てを用いて自分の魅力を伝える」べく、やっぱり「自分の魅力」という個性を作る必用があるわけなのである。
この観点から見ても、にこのアイドル理論は正しいものだと言えるんじゃあないだろうか。

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にこ先輩のこのキャラ作りはある意味極まってるんだけど、元々アイドル好きだから「これぐらいやらなきゃダメ」というぐらいの例示だと思っておくべき。
にこは歌が下手なんだけど、それでも彼女がアイドルとして輝いているのは、彼女自身が自分のキャラを作り込んでいるからという見方ができるかも。

加えて言うなら、アイドルユニットというものは各々の持つ個性の強調と共に「他者の個性との共存」を目指さなければならない。なぜならアイドルユニットは二人以上の個性が存在しているからこそ成り立つものなんだけど、個性同士を競わせるだけだと潰し合う展開にしかなりどちらかのアイドル性を喪失する戦いになってしまうわけで。
アイドルユニットにおいては「強調」しながらも「他者の個性と共存する」という二つの相反する要素を同時に展開することが大事になってくる。
まあ理想は「共鳴し高め合う関係」なのは言うまでもなくて、『プリティーリズム』一期だったと思うけど「個性を合わせた主人公二人」よりも「各々の個性を強調する方向で調整した二人」が最終的に勝利するという回があって、これがアイドルユニットにおける理想形の一つではないかと個人的には思っていたりする。
そういえば『プリリズ』にも京極監督が関わっているわけで、そういう意味では一貫したアイドル観を持っている監督だなーと感じる。
話を戻すと、にこの語るアイドル理論というのは「自分だけの個性を作りなさい」という意味合いで、そういう観点で言うのならこのアイドル理論というのは極めて正しい理論であると言えるし、わざわざそんなアイドル理論を展開し始めた辺り、本気でアイドルについて語ってるという感覚があって、そんな本物のアイドル理論を語ったにこ自体のキャラクター性もかなり固まっている気がするなぁ。
「アイドルアニメで、「強い個性があるからアイドル」みたいな話をされるとは思ってなかったので感服しました!」といったところで。

余談だけど、「この時に作られたキャラクター」って言うものを徹底できている人は相当少なくて、ところどころ出てくる素の部分や、アイドルとしての成長とともにキャラクターが変化していく。まあ熟成されていくという現象があるわけなんだけど、この時に無理のない変化のさせ方をしないと「キャラクターが本人を潰しにかかる」というようなことになる。
そういう風に「キャラクターを作りこむ」と「そのキャラクターを演じる」という二つの要素から来るのが「アイドルはトイレに行かない」「アイドルは恋愛しない」とかいう話で、それを突き詰めていくと聖人化というか偶像化していく!という現象になるわけだ。
そういう「アイドルとしてのキャラクターを貫くと聖人化していく」を突き詰めてしまった一例としては尾崎豊とかあるわけだけど、未だにあの辺のキャラクターに惹かれている人がいるのは「おっさんだから」とかじゃなくて、その人の持つ聖人性に惹かれているようなものなので英雄へ向ける視点と近いんじゃないかというのが俺の見解なんだけど、まあアニメ版『ラブライブ』でそこまで行くことは無いと思うので「そういう話もあるよー」程度に押さえておいてください。

▼凛ちゃんはスタッフに愛されているなあ!という話について

俺は『ラブライブ』を「アニメ版」「漫画版」と呼んで、「どちらが原作であるか」「どちらが正史であるか」を断定しないような言い回しをしているし、もっといえば「μ'sは現実にいるという想定」なんだから「物語的な正史は存在しない」という扱いをしている。
前に一度書いたことではあるが、俺はこのアニメ版『ラブライブ』をドキュメンタリー風ドラマとして捉えているんだけど、にしても五話の凛ちゃんはちょっとスタッフに愛されすぎだろう!

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アニメ的な言い方をすればこのシーンの凛ちゃんは動かし過ぎだ!
ドラマ的な言い方をすれば特に意味のないシーンではあるのに、凛ちゃんに自由に動かさせすぎだろう!

いやまあ、割とアニメ的なハッタリよりもドラマ的なハッタリを用いている作品なので、こういうハッタリのきかせ方は嫌いじゃないんだけど。
にしてもさあ。もうちょっとこう他の子にも出番を与えるべきだと思うわけなんだが、まあ凛ちゃんは四話でもそれほどメインで扱われていないので、その分五話では結構出番が多く、そして絵になるところで使われているし、運動好き設定も生かされているんでこれでいいかなーと。
しかしあれだけ派手なアクションをしてハッタリをきかせている辺り、「これで創作作品じゃないなんてあるのか?」と思わないでもない。

特にこのカットなんてハッタリを効かせすぎているなーとか思います。

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困ったときの希頼りは希自体のキャラクターが割りと何でもありな部分があるからなんだろうなー。
「キャラクターを作りこんだ後の希のイメージ」「ハッタリを効かせたい時は希に投げる」という姿勢に現れている気がする。




まあそんなわけで「この五話はアイドルアニメとして素晴らしい」という話をしてきたわけなのだが、この五話は本当に「アイドルを題材にする上で押さえておくべき要素」が凝縮された素晴らしい回なのだが、にこの口を借りた「アイドル理論」は正直ぐうの音も出ないほど真っ当な意見すぎて心のなかでは拍手喝采である。
ここまで丁寧に理屈っぽく「アイドル理論」を展開したという作品は他になかったように思うし、アイドルアニメ史において「アイドル理論を展開した」という意味でも重要になってくる一話なのではないかというのが俺の見解だが、まあそれはともかく表情の変化という意味では一番カメラを意識している矢澤にこを中心にした回なので、その辺の面白さも大きい。
アイドルアニメというよりは「アイドル」というものを捉え切れていない人にも見てほしい。
そんな風に感じられるのが俺にとってのアニメ版『ラブライブ』五話であり、アイドルアニメ好きとしてもこの一話は驚嘆の声を上げるしか無く、感極まってこういう文章を書きなぐる程度には愛してやみません。
アニメ版『ラブライブ』五話はそういう意味では特別な作品ということで。


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