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省略/圧縮の手法に見る『ラブライブ』のエンターテイメント性について

この間、なんでみんなラブライブ!ってデタラメアニメ見てるの? 脳がスポンジなの?という記事を受けて、反論としてアニメ版『ラブライブ』はデタラメアニメではないという話という記事を書いたのだが、某所でその記事に「マジレス乙」だの「PVだから仕方ない」だのというコメントがついていた。
「ネタにマジレス」「PVだから仕方がない」というコメントがつくことはある程度予想していたし、「デタラメアニメだ!」と書いた本人がラブライブ!の展開はμ’sの魅力をぎゅうぎゅうに詰め込むためのものっ!という記事を書いていたので、個人的にはもういいかなーと思ったのだが、「PVだから仕方がない」というコメントに対しては反論してなかった気がするし、アニメ版『ラブライブ』を一話から見返して色々思うところがあったので、ついでに「アニメ版ラブライブは創作作品っぽい」という立場の人間として「PVだから仕方がない」という意見へ反論しておこうというのが今回の記事の目的である。

なおこの記事はアニメ見ながら考えた真面目な話を書くため、邪魔にならない程度のギャグやパロディすら徹底的に排除した真面目な話をお楽しみいただく記事の模様。



▼出すことで生じる「意味があるのか」という問題

まず前提として俺は「画面に映った物に不必要なものは何一つ無い」という見解で物語を楽しんでいる。
それは何にしてもそうで、「画面に写ったからには何がしかの意味がある」と考えているし、『北斗の拳』におけるモヒカンが「弱者を痛めつける」という意味のある役割を与えられているように「登場すること」「キャラクターの存在する事の意味」はイコールで結ばれていると考えている。
だから逆に言えば「不必要なものは登場させないほうがいい」という理屈で物語を見ているわけなのだが、何故画面に映る事が、イコール意味があるということになるかといえば「画面に写っている意味が無い」ということは「別にいてもいなくても同じ存在」だからだ。
いてもいなくてもいいキャラならいない方がいいというか、意味があって登場したキャラと同じ画面に写っていると、意味のあって登場したキャラのその「意味」を読み解くのにノイズになるから
そういうノイズになるような「いてもいなくてもいいキャラの存在」は映像映えという意味でも締りがない映像になるし、物語的にもそのキャラがそこにいたところで何も変わらないし空気になるし傍観者でしか無いなら、最初からいない方がいい。
極論を言ってしまえば、俺は原作付きアニメであっても「アニメの最終回までにその意味(まあエピソードでも何でもいいんだが)を展開できないキャラクターは登場させないほうがいいとすら思っているし、そっちのほうが見応えがある作品になるとすら思っている。
まあこの辺は俺の私見なんだけど、「いる意味が無いなら登場させないほうがいい」「出した以上はちゃんといる意味を与えるべき」というのは俺が作品を見る上で意識している事で、この辺を意識的に見ていくと『魔法少女まどか☆マギカ』なんかは非常に良く出来ていて、登場したキャラはきちんと劇中で意味を与えられていて、いるだけのキャラクターが1人もいない。


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メインキャラだったまどかやほむら、マミさんなどの魔法少女や黒幕というべきキュウべぇについては当然で、完全にサブキャラだったまどかの弟は、ただいるだけではなくきちんとエピローグにおいて、きちんと意味のある行動をしているし、仁美についても「不必要であるかどうか」でいえば彼女がいなければ存在しえない物語であるため、必要であるといえるだろう。
そうして登場した際に与えられる「意味=必然性」がキャラクターのポジションであり魅力の根幹を形成するんじゃないかと考えたりもするわけだが、まあそれについては長くなるし本題からずれるので割愛する。

ただこの「登場させることの意味、必然性」というのはキャラクターだけに限る事じゃなくて、情報についても同じ事が言えるし、もっというと辻褄合わせについてもそうだ。
「丁寧に辻褄合わせをすること」に意味があるのならすればいいし、丁寧に辻褄合わせをすることに意味が無いならそれより意味があることを優先すべきだ。
限られた尺しか無いんだから、「自分が伝えたいもの」を「伝えられるようにする」というためには、ただ「出し続ける」というだけでなく、「何を出すか」と「何を出さないか」を慎重に検討する必要がある。
故に「出すこと」と「出さないこと」は同じぐらい大事なことだし、もっというと「省くこと」は限られた時間を有効活用する上では重要なことになってくる。

余談。
この辺の話でダメだなーと個人的に思った作品としてはまあ『仮面ライダーフォーゼ』が上がる。
いくら黄道十二宮モチーフだからって幹部級怪人を十二人も出したら、強い奴と弱い奴が出てきたり作中における役割の中でも割りを食う奴が出てくるのは当然だといえるし、物語を締めくくるのは幹部級怪人と同じモチーフのサジタリウスなんだから、サジタリウス自体のキャラクターとしての格も下がった結果、締りのない映像を繰り広げている作品になっていたように俺には見えた。
この辺は前年の『オーズ』が上手かったというのはあるけど(ラスボスは幹部級怪人とほぼ同じ設定だが、他の幹部級怪人にはない幹部級を完全に殺すことが出来る力なのでラスボスの意味は保たれている)、結局幹部級全員出しても活躍できないんだから。
そういう意味では『仮面ライダー龍騎』とか「十三人も活躍させるのは無理だから」と言って登場させるライダーを絞ってたんだけど、あの辺の話を見ると『フォーゼ』の失敗はスタッフが「出すこと」に拘りすぎたんだろうなー。まあ憶測なんだけど。

▼出さないことの重要性について

前項では「出さない事は出すことと同じぐらい重要だ」ということを書いたけど、もうちょっと具体的な話をすると、分かりやすい例としてはガイナックスの『トップをねらえ2!』という作品がある。


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この作品は『トップをねらえ!』の続編的な作品であり、「宇宙飛行士に憧れるロボットの少女ノノが、バスターマシンパイロットであるラルクと出会ったノノがバスターマシンパイロットになるべく頑張る話」という作品なのだが、注目すべきはこの作品の第四話。
この第四話は「宇宙怪獣が完全復活を遂げ、今まで宇宙怪獣だと思っていたものがバスターマシンであり、それを操るノノ自体がバスターマシンだった!」ということが判明する物語の大前提をひっくり返すどんでん返しが行われる傑作回なのだが、この話においてノノは冥王星から雷王星にワープするということをやってのけるのだが、その際に行われているのが「説明の省略」で、ノノは「ワープです!ノノとお姉さまに距離など関係ないのです!」とだけしかいわない

もちろんガイナックス製作なので細かい理屈は確かに存在している。
例えばワープする直前にマイクロブラックホール的なものを発生させている事から考えて、その力でワープしてきただろうということは推測がつくし、ブックレットでもたしか解説されていたと思うのだが、本編中でこのワープについては「ワープです!」以上の事は宣言されない。
しかしこのシーンにおいてはそれだけで十分事足りてしまう。
なぜならそこの説明は今は特に必要ないから
ここで大事なことは「バスターマシン=力を求めていたノノ自身がバスターマシンであった」ということだし、もっといえば『本物のバスターマシンはこれぐらい出来る』ということを示唆するほうが大事だからである。
こうやって説明を省略し、「とにかくバスターマシンという奴は化け物的なスペックを誇るロボットなんだ」ということを重要視し演出することに注力した結果、この後の「この時代のバスターマシンが束になっても勝てない宇宙怪獣が、ノノ1人に倒される」や五話の「バスターマシンがあれば人類は宇宙怪獣に勝てる」という空気感を形成することが出来ている。

さて、今述べたのは「説明=情報の省略」なのだが、キャラクターについてだと押井守監督がメルマガでも言及してたけども、『GHOST IN THE SHELL攻殻機動隊』では「人形遣い」という「ネットの海が生み出した人工知能」が出てくる関係上、「その人形遣いを際だたせるためにフチコマという人工AI搭載の多脚戦車を排除した」と語っているわけなのだが、このように「キャラクターや説明=情報を省く」事で、物語は「よりドラマチック」かつ「緊張感が切れず」そして「見応えのある」ものになる。
このように「省略する」「出さない」ということはそれだけ「重要性が高いものを」「重要性が高そうに見せられる」という意味では大事で、話の焦点を絞るという意味でも非常に重要性が高いことなのである。


そういう意味では花田十輝という人物が非常にわかりやすくて、この人は「省く」と言う事に非常にいいセンスを持っているのだが、この花田十輝作品では『ゼノグラシア』と『宇宙をかける少女』が対照的な作品となっている。


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前者は終盤で「春香・インベル・千早」に関係性を絞ったことで緊張感が切れなかったのに対し、『宇宙をかける少女』では逆に「関係性を絞らずにとにかくキャラクターを出しまくった」事で、すべての話に決着を付けられずに最終回では最低限の話を畳む方にシフトし、それ以外は全部放り投げるハメになっている。
この二つは「同一人物の成功例と失敗例」としては非常に分かりやすいので記憶しておきたいところ。

余談。
前項からの続きになるけど、「出してしまった以上、何がしかの意味がないといけない」というのは「退場のさせ方」という事も重要になってくる。
この退場のさせ方を失敗してしまうと、たとえ物語中で意味がある存在として登場していても、その意味を失ってしまう可能性があるからである。
成功例として分かりやすいところでいえば『アニマス』のジュピターの退場のさせ方は非常に上手い退場のさせ方だった。


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彼らはアニマスの原作にあたる『アイドルマスター2』で登場したキャラクターであり、ライバルアイドルという設定を与えられていた。
そのため、『アニマス』においても様々な所で衝突しながら765プロのアイドル達の魅力を引き出すという役回りをさせられていたのだが、その他以上のさせ方として「765プロのアイドルとは直接戦うこと無く勝手に負けて退場する」という退場のさせ方をしており、「登場した意味」を一切穢さなかった。
そして765プロのライバルアイドルという立場からの退場後も、プロデューサーとは会話しているけど765プロのアイドルとは顔を合わせていない。この辺りには錦織監督の愛を感じるし、上手い退場のさせ方だったなーと思う。
まあ番外編では顔合わせてるけど、「番外」だから今回の話には関係ないね。

▼ラブライブはエンターテイメントの本質をきちんと捉えている

で、アニメ版『ラブライブ』の話に戻すのだが。
アニメ版『ラブライブ』では「丁寧な辻褄合わせの放棄による説明の省略」「キャラクターの省略」をやっているわけなのであるが、どちらもテーマ的なものから連なる「物語性」とμ'sの魅力を描くという「コンセプト」による「省略」「情報圧縮」なのだろう。
μ'sは九人のアイドルユニットであるしTVアニメである以上、二十分ほどの時間で九人を描写しながら一つの物語を完成させなければならない。
細かい辻褄合わせに尽力するぐらいなら、テーマであったり物語をより面白くする方に尽力する方が懸命だと言えるし、そのために辻褄合わせのための説明を省略してしまうのは妥当だといえるし、強い言葉になるが「辻褄合わせをすることが面白さに繋がるのか?」ということでもある。
京極監督はリスアニのインタビューにて「爽やかさ、一生懸命さがなによりも大事」だとコメントしているわけで、「辻褄合わせのための説明を最低限度に留めておくことで、何よりも大事な「爽やかさや一生懸命さ」のために限られた時間を使おう」という考えがあるからこそ、省略しているのではないだろうか。
これはキャラクターについても同じ事が言える。
アニメ版『ラブライブ』の物語中にはμ'sとは別にUYXのA-RISEというアイドルを出しているものの、外見や楽曲やダンス自体は描かれているもののキャラクターとしては一度も描写されておらず、どういう性格であるかすらも不明であるし、そもそもPVでしか彼女達は描かれていないわけで、「キャラクターとして出した」というより「演出装置」として用意されていると見るのが妥当だろう。
また六話では希1人だけが行動してμ'sの部活動紹介用の映像を録画しているし、そもそも音乃木坂の生徒会についても希と絵里だけしか描写されておらず、その他の生徒会メンバーについては不明である辺りが非常に分かりやすい。
あえて他の生徒会メンバーを描かないことで絵里や希の二人のキャラクターに焦点を絞り、彼女達をきちんと物語に組み込み、取り残されないように空気にならないようにしているあたりが興味深い。

そういう意味ではアニメ版『ラブライブ』は方法論としても創作論としても、正しい方法で作られていると思うし、「何を見せたいか」という意味では全くぶれていない。
したがって、「辻褄があっていない」だの「PVだから」だの、そういう意見は本質まで理解する気がないという意味では見当違いな指摘だといえるだろう。

というか、そもそもこういうことをいう人達は「エンターテイメント」というものの本質を勘違いしているか、嘗めているとしか思えない。
まずエンターテイメントの本質は観客を楽しませることだ。辻褄合わせをすることじゃないし、テーマを説明をすることでもない。。
だからこそエンターテイナーという人間は楽しませるために工夫を凝らすし、そういう楽しませるための工夫があるからこそ観客は「楽しかった」「面白かった」と感じるのである。
そういう意味ではアニメ版『ラブライブ』は「何を見せたいか」と「どう見せたら面白く見えるのか」を計算し尽くしており、エンターテイメントという物の本質を理解した上で創作されていると言える。
じゃなかったら五話の「アイドルはキャラを作るのが当然」なんて理屈があそこまで視聴者に受け入れられるわけがない。
もっともらしく描がきながら、その一方でエンターテイメントとして成立するようにしているからこそ、六話の「チラシ配りにおけるにこ」というギャグが成立するし、「にっこにっこにー!」なんていう正気だったらまず受け入れられないような台詞を「これはにこの決め台詞なんだな」という意識にさせるのである。

俺も「アニメ版ラブライブは芝居臭い」と思っている人間だが、それとこれとは別の話だ。
『マクロスF』の最終決戦なんて山場を幾つも突っ込んでいて嘘くささの塊みたいな演出だし脚本だと思うが、それでも面白いと感じるのは、『マクロスF』という作品のスタッフ達がエンターテイメント作品であることに真摯に向き合い、本質をきちんと理解しているからこそあれだけ「ありえない」のに「面白い」作品になっている。
まあそれでも俺は最後にバジュラクイーンを撃つアルトだけは「エンタメとしては正しいのかもしれないが、『マクロス』の時の反省点を忘れてるんだろうか」とか思ったわけなのだが。後にスパロボで熱気バサラに説教されてバジュラクイーンを撃たずに歌で分かり合うという結末になってたので許したけど。
だから「『エンターテイメントという事の本質にどう向き合うか』ということを真摯にやっているかどうか」ということが最も大事なんであって、それ以外の奴は大体その派生でしかない。
だから本質を理解していない作品はやっぱりつまらないし不満だけど、本質は理解している作品は中身なんかスカスカでも見終わった後の充足感はあったりするわけで。

「エンターテイメントとは何か」みたいな話になっているけど、俺が言いたいことは「アニメ版『ラブライブ』がこれだけ受け入れられているのは「エンターテイメントをよく理解しているから」だし、観客を楽しませるために不必要な部分は省略するor圧縮することでエンターテイメント作品の枠組みの中に落とし込んでいる」ということで、エンターテイメントというものの本質を理解せずに「メタフィクション構造だから仕方がない」とか「ドキュメンタリー風ドラマだから」とかいうのは、そもそも的はずれだし、穿ったものの見方なんじゃないの?ということ。
このことを、この間書いた反論記事の中であえて端折ったのは言葉が強いからなのだが、俺の立ち位置をはっきりさせるためにちゃんと書いておく。
アニメ版『ラブライブ』はエンターテイメントの本質をきちんと理解し、であるからこそ省略すべきところと展開すべきところを選んだ上で構成/演出している作品であり、だからこそ面白く、μ'sの九人が魅力的に、輝いて見えるのである。



長くなったが、結論としていつもの様に羅列しておく。


・「出す」と言うことは必要だから出すんであって、必要ないなら基本的には出すべきではない。
・出す事ももちろん大事だが、同じぐらい出さない事、登場させない事も大事。
・「出さない」や「省略する」と言う事でテーマや物語性やコンセプトを際立たせる。
・「出す」事は「退場させる」事とワンセットなので、退場させる事にも気をつけるべき。
・アニメ版『ラブライブ』はテーマや物語性や、「μ'sの魅力を描く」ということを大事にしているからこそ省略できる部分は省略し、圧縮できる部分は圧縮する事で、その大事な部分を丁寧に描いている。
・だからこそ希と絵里以外の生徒会メンバーは画面に登場していないし、UTXはPVでしか登場していない。
・アニメ版『ラブライブ』はエンターテイメントの本質を理解しているからこそ、「何を省くか」「何を描くか」を理解して演出している。
・それはそうと今回の話は創作論っぽいね。


今日の話は書きながら整理している側面が強いんで長文になっているけど、「長い文章を読むのが面倒くさい!」という人は「『爆弾を解体する』という事自体が物語の主軸になるなら爆弾を作りこめばいいけど、そうじゃないなら『赤と青のどちらを切ればいい?』程度の爆弾でいいんだよ、という話を掘り下げて書いてる」という程度の認識で問題ないです、はい。



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3件のコメント

[C1124]

エンターテイメントがー云々。とかよりも吉本新喜劇の構造からラブライブを紐解くって方が読む気力が湧きます。

[C1125] Re: タイトルなし

>>吉本新喜劇

その例えで分かるのは関西人だけでございます。
いや例えとしては的確極まりないんですが。
  • 2013-02-17
  • 水音
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