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『ファンタジスタドール』と優劣を付けないドールとの絆の描写について

かつて伊藤計劃は「映画とはただそこにある映像にすぎない。そこから何を持ち帰るのかは個人の素養の問題である」的な事をブログで述べていたのだが、とあるアニメの感想(とでも呼ばないと収集つかない)において場外乱闘じみた論争を繰り広げているのを見ると、どいつもこいつも「一皮向けば喧嘩っ早い奴」と「アニメ(だけじゃないが)で世界を語りたがる奴ばっかり」という思いがあって、「ただそこにある映像」からよくもそこまで場外へと論争を飛躍出来たものだと感心したりする。いや本当、あそこまで乱闘して胸張ってるところとか尊敬できるレベルだ。俺には無理だから。
でもそのとあるアニメについては視聴していたものの俺個人としては特に書きたいことはないんだよなぁ。俺は浅薄な人間なので、「今の時代だからこそのヒーロー」とか言われても次のライダーがどうなるかの方に感心がどうしても向かってしまうし。というか彼らの言う「今のご時世を踏まえたヒーロー」って平成ライダーやスーパー戦隊というものが、どれだけその手の時勢に敏感だったのかという話には絶対にならないのが一番腹立たしいぜ!
そこに対して言及されない限りは俺がその論争とやらに参加して言うことはないなぁ。言及されても参戦する気はないけどな!
ちなみにそのアニメは内容自体はそこそこ好きだが、アニメ特撮っぽいスーツってやっぱり今だと厳しそうね。でもこのスーツのデザインは『BLASSREITER』を思い出すわ。
なおこの冒頭部分に関するツッコミにはブリンガー、わざわざ答える気はない。ソードアイズ最高や。

で。『ファンタジスタドール』の話をするけど、『ファンタジスタドール』という作品を一本の作品として振り返ってみた時、毎週の面白さを保証しながらも描かれているものというもの=テーマと呼んでも差し支えないものって何かという話になると、これはもう「マスターとドールの関係性」というか「友情・愛情などなどの絆」の尊さだったりするんだが、本作の良さはそういうものをただただ「尊いものである」と主張する上でマスターとドールの関係性を一面的ではなく、様々なマスターとドールを描くことで多面的な描き方をしているところが素晴らしいのだと思う。
人間同士の関係性なんて多種多様で当たり前で友達関係ですらそれも人それぞれなわけだけど、『ファンタジスタドール』では様々なマスターとドールが登場しそれぞれがそれぞれの関係性を構築している。主人公であるうずめ達のドールとの関係性を一言でいえば「友達」になるのだが、かがみとくぅの関係性を見ていくとちょっと従者と主人という関係性に近かったりする。
三話から四話にて登場した残念王子は最終的に手持ちのドールの大半に愛想を尽かされてしまうものの、最後に残ったアロエとの関係性はつまるところダメ男とそれを支える女というか、まあ主人・従者みたいな関係性のように俺には見えるのだが、そうして見ていくと「ドールとマスター」という関係性・距離感というものを題材にする中で、それそれのマスターとドールの関係性の違いというやつがちゃんと出ているように映る。そして本作の最も凄いところは、その関係性を敵であっても一度として優劣をつけていないところであり、「どちらが正しいのか」ということに関しては一度として本作の中で言及されていないということだ。
象徴的なのは残念王子のエピソードで、残念王子が真に残念なのは「ドールからの一方的な愛」を博愛だと勘違いしていて人間扱いしなかったことに依る反逆なんだけど、一人だけ手元に残ったのはあれは「ドールからの博愛に甘える自分」に気づいて変われたからで、そういう「甘え」とそこからドールを対等な存在として認識し直すことでもう一度やり直そうとしている、と考えると、最後に残ったドールが彼に付いて行く事を選んだのは「彼の事が本当に好きだから」ということである程度納得は行くのではないか。
ついでにあの話において、うずめ達は残念王子のもとに残ることになったドールに「本当にいいのか?」とは聞いていたが、ドールと残念王子の関係性に対しては否定的な事を言っていない。
そういう細かい部分で「あれはあれで一つのドールとマスターの在り方なんだ」という見守り方をするような設計になっているのが『ファンタジスタドール』の特徴となっていて、関係性に対して優劣を持ち込まないからこそ「どちらがいい」とかじゃなくて「どちらもいい」という精神につながり、ドールがマスターの事を気にかけた時、逆にマスターがドールの事を気にかけた時に垣間見える関係(絆って呼んでもいいけど)の尊さにつながるのだろう。
そうしてみていくと、関係性の優劣を付けないために、『ファンタジスタドール』における戦闘というものは「向こうの関係性を否定する」という展開じゃなくて「振りかかる火の粉を振り払う」という位置づけになっていて、どれも同じ価値だからこそ、否定されるのではなく「自分達の関係性を守るために、最低限戦わなきゃならない」というところに落とし込めているような気もする。
なにせ振りかかる火の粉を振り払う=戦わなければドールを奪われる可能性もあるわけなので、振りかかる火の粉を振り払うためにどうしても戦わなければならない。
ただそこを踏まえて10話を見ていくと、自分の希望を叶えるためにカードを奪うべく戦いを挑むかがみとの戦いにおけるうずめの「ドールを奪わせないし、戦わない」という決意は「=相手からドールを奪わない=相手のドールとの絆を奪いたくない」という意味合いになるわけで、そこで相手のマスターとドールの事を考えた上でのうずめの決意は熱く尊いものに感じる。
こういう部分でギャグに走るわけではなく真剣な言葉として描写する事で、普段のコメディっぷりとのギャップが生じてより真剣なものに見えてしまうというのはあると思うのだが、そういう大事な部分で茶化さない姿勢こそが本作を「毎週ダラっとでも見たくなれる」という面白さを持つ作品へと見せているのではないか、と最近『ファンタジスタドール ガールズロワイヤル』に手を出してしまった身としては思うわけなんだが、実際のところがどうなのかということにおいて記事の冒頭にある伊藤計劃を引用して「少なくとも俺はただそこにある本作からこれらのことを持ち帰った。正しいかどうかは知らないが、俺にとってはこういうものだったから書いておくぜ、という以上のものではない」のだが、まあそれはともかくだ。

『ファンタジスタドール』はそういう関係性に対して優劣を持ち込まないことで、関係性の多様性を保証しており、自分の意志を持ったドール達が戦っているところなどは本作においてドールとマスターは同列の存在であるということを意識させる。そうした細やかな描写は「ドールをカード扱いする存在」に対してフラストレーションが発生させるような作りとして機能するだろう。
「ドールをカード扱いする存在」と出会った時こそ「今まで優劣を付けずに絆を描き続けてきたこと」は意味を持ち輝き出すだろう。その輝きが何を照らしだすか。それを楽しみにしておきたい。

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