Entries

『ウィザードバリスターズ』と暴力の社会正義を問うための裁判要素について

今更『WHITE ALBUM2』の話をするんだけど、あれの一話のアバンタイトルと七話のライブパートはイベント的には全く同じで「文化祭での三人のライブ」というものを描いているのだが、アニメ版の上手いところは三人の関係性に絞り込むことで一話と七話の文化祭ライブで全く別のドラマを描いていたところだ。
一話のアバンタイトルは主人公である春希のモノローグであり、ヒロイン側には一切セリフが用意されていないのだが、七話の文化祭ライブでは今度は春希のセリフが全て消えてヒロイン側のセリフだけで物語が進行していく。これはあの頃の春希とヒロイン達の考えている事のズレがあって、それをちゃんとズレとして演出するために同じイベントでも「別の視点で二度描く」というやり方によってそのズレがちゃんと現れてくる。
あの文化祭ライブこそがあの三人の最も幸せだった頃であり、最も良かった思い出である以上ライブパートに力を入れるという方法もあったのだろうが、三人の関係性を特に掘り下げていたアニメ版ではライブパートに全力をつくすのではなく、むしろ三人のすれ違っている様に比重を置くのは正しいといえるだろう。
「同じイベントでも別の視点で描けば全く異なる印象となる」ということは当たり前といえば当たり前の話なのだが、本作ではその異なる印象こそが大事なのであり、だからこそ「重要なイベントである文化祭ライブで、三人の関係を掘り下げるために視点を変えて二度描いた」というのはちゃんと後々生きてくる。まあその生きてくるのがまだアニメ化すら決定していない終章やcodaの頃なので、一本の作品として考えるのならライブパートに力を入れることでキャッチーさを与えるのは間違ってはいないんだけど。でも作品的にはそこで全力を尽くすより、どう考えても春希とかずさが結ばれるところに力を入れた方が正しいわけで。この辺はあの監督がこだわりぬいた結果だと言い切っても良い気がする。

梅津泰臣のオリジナルアニメ企画第二弾ということになった『ウィザードバリスターズ』。


ウィザード・バリスターズ-弁魔士セシル-1 [Blu-ray]ウィザード・バリスターズ-弁魔士セシル-1 [Blu-ray]
(2014/04/02)
田辺留依、真堂圭 他

商品詳細を見る


魔法が社会的に認知され、法整備も進んでいて訴訟すら珍しくなくなっている社会を舞台に、魔術師の引き起こした事件を弁護する弁護士ならぬ弁魔士となった少女、セシルを描いた作品なのだが、『ガリレイドンナ』もそうだけどエロとバイオレンスを得意とする梅津泰臣が「法廷バトル」というのはちょっと面白いかもしれない。
というのも法廷バトルって基本的には「客観的な証拠や証言の積み重ねによって、第三者が判断する」という流れになるのだから、梅津泰臣が得意とする暴力描写ってあんまり入る余地がないのだけれど、『ウィザードバリスターズ』が面白いのはそんな「暴力を客観的に見て、社会的正義かどうか」という「正当性をどうやって証明するか」と言う物語になっているところで、梅津泰臣が法廷バトルを通じて「暴力性の新たな境地を模索している」感が随所で感じられる。
世界観的にはイマドキ対して珍しくもないのだが、「魔術師達の引き起こす事件が立件されて訴訟沙汰も普通に起きている社会」というのは、ちょっと珍しいのではないだろうか。
そんな本作で大事なのは魔術師達を取り締まる法律である魔禁法である。魔術師達はこの法律によって魔術の使用が制限され、そしてこの法律によって裁かれているのだが、本作でおそらく最も大事なのは魔禁法の第十条だろう。一話や二話でも何度と無く持ちだされたこの魔禁法十条だが、これは「魔術の行使が社会正義なら無罪」というものだ。
これは「社会的正義であるならば魔術に依る犯罪は正当化される」ということになるのだが、本作における魔術とは極めて強大な力であり一個人の振るう暴力として描かれていることからすると、この作品は「魔術=暴力の社会正義を問う」ということに挑んでいるということになる。
つまりそれは「個人がなぜ暴力を使ったのか」ということが妥当であるかとか関係なくて、それが「社会的に正しい行いなのかどうか」というのは大事になってくるということだ。
それは客観的事実と証言こそが魔術とそれに依る犯罪が日常と化した社会においてその暴力の正当性を与えているということになるのだが、本作ではその「正当かどうか」の判定を司法の場である裁判所に委ねる事で「社会としての判定」に繋げている。これを「裁判というシステムを利用することで暴力を社会的に描こうとしている」と見れば、梅津泰臣が今まで得意としてきたことから、さらに一歩向こう側へ脚を進めているようにも感じられる。
なにせ「社会正義かどうか」と言う判定を問い続ける物語であるのだから、作中で描かれる暴力性についてもまた「客観性」を要求される。それらをどう扱っていくかは今後が楽しみな点だが、少なくとも一話・二話を見る限り、その「客観的な事実を積み重ねる事で、暴力の印象を変化させる」ということは作品の魅力として現れているように思う。
「暴力」と「社会正義」。一つの事象が果たしてどちらであるかを判定するための「裁判」。
この作品のシナリオを構成する三つの要素は、確かに「法廷」という場所でしかそれらを描くことは出来なかっただろうし、暴力も「魔術」と言う設定と上手く混ざり合う事でよりバイオレンスに、よりエンターテイメントとなって作品に刺激を与える存在になっている点も見逃せない。
拳銃とか爆弾とか作中世界にも存在しているっぽいけどそれらはちょっと生々しすぎるので、「暴力=魔術」にして「弁魔士が扱うのは魔術師が絡む事件」という扱いにすることで、娯楽性を確保するのはいい置き換え具合だし、それによってディアボロイド対ディアボロイドというド派手なアクションシーンに繋がっていて、派手なアクション好きとしては特にいうことが無いです。
あとは主人公達が使うディアボロイドがディアボロ+アンドロイドって事で悪魔チックなデザインになっている他、魔術ロボット的な存在でありながらちゃんとゴーレムとして扱われているところも面白いのではないかと思う。ちゃんと関節部分が球体関節になっている辺り、ちゃんと「機械人形」ではなくて「金属人形」なんだなというのが感じられる良いデザインだなぁ。
『ガリレイドンナ』よりも後発となってしまった本作だけど、企画自体はこっちの方が先らしいので『ガリレイドンナ』で培われたもののフィードバックがあれば面白い感じはするけど、俺は『ガリレイドンナ』自体は嫌いじゃなくて。「誰も彼も正しいと信じているからこそ、第三者に客観的事実を積み上げていくことで判断を委ねる」というシステムの利用と言う意味ではあれも相当頑張って裁判やってたとは思うんだよなぁ。
まあしかし「法律云々に則って、裁定を下す」ってことになるとまあ法廷というか裁判物ってやりやすいのかねー。一話・二話ではその辺の面白さがいまいち見えてこなかった(そしてこの作品では魔術師の起こした事件の判決は第一審で確定)ので、三話・四話以降でその辺の魅力が見えてくるといいかな。

しかし悪魔モチーフの人型ロボットでメカデザイン担当がNiθということもあって、セシルのディアボロイドがデモンベインに似てるのは面白い気がしてきた。もう一回アニメ化しねーかなー、デモンベイン。


スポンサーサイト
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://ilya0320.blog14.fc2.com/tb.php/2000-56c3e335

0件のトラックバック

0件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

Appendix

魔界戦線


■DREAM WING(C87新刊)


■プリズムアライブ(C86新刊)
44829979_m.jpg
とらのあなで委託中

■スイッチオン!(C85新刊)
アイカツ3
とらのあなで委託してました

■RUNWAY
表紙
とらのあなで委託してました

プロフィール

水音

  • Author:水音
  • tumblrの方が積極的に更新してるマン。
    面倒くさがりなので、Twitterのほうが捕まります。

    魔界戦線



    連絡先  :mizune.moon.sounds@gmail.com
    @を半角にして下さい

カウンター