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『サムライフラメンコ』とヒーローとして「やりたいこと」について

ニチアサをちゃんと『聖闘士星矢Ω』から『ハピネスチャージプリキュア』までちゃんと見ている人間だけど、今年のニチアサはどうなんだろうな。個人的には安定して面白い作品が一作、ブッチギリすぎていて何も言えなくなる作品が一作、残りはもうどう扱っていいのか分からない作品!と言う印象が強いのだが。
とりあえず『烈車戦隊トッキュウジャー』は主なスタッフが『侍戦隊シンケンジャー』と同じだけど、作風としては『シンケンジャー』のような方向ではなく明るく楽しい方向だし、「ロードムービー」「街を支配する怪人」「戦う力はイマジネーション」と「今年の戦隊はこういう方向で行く!」というのがひしひしと伝わってくる。
「戦隊としては初の電車モチーフ」という事だが、電車モチーフであるということをちゃんと生かす方向でシナリオを組んでいるし、設定製作も見事だ。敵組織のキャラクターの立て方も上手いし、今年の戦隊も楽しめそうだ。
『ハピネスチャージプリキュア』は今のところどうなるのかはわからないのだが、とりあえず怪人=人間という造形の割に怪人化のプロセスをこの段階で投げ捨てるシナリオ書いてくるとは思わなかった。真面目な話、今回の怪人設定を考えたらキュアプリンセスかリボンが怪人化する方が自然なんだけど、なぜ一般人を怪人化させたのだろう。一般人を怪人化させるなら、その一般人を中心に話を組み、キュアプリンセスを「同じ悩みを持つもの」として重ね合わせないと何の意味もないと思うんだけど。
こういう怪人の設定とやりたい話が咬み合ってない話は今回限りだと思いたいなぁ。

で、大人のヒーローアニメと化している『サムライフラメンコ』について。
地元で人助けやっていたと思ったらキングトーチャーという怪人組織が出てきて、その怪人とキングトーチャーを仲間達の力を借りて何とか倒したら、今度はフロム・ビヨンドとかいう組織が出てきてフラメンジャーとして戦いを始め、何とかフロム・ビヨンドの怪人軍団をヒーロー軍団によって何とか凌ぎ切り、フラメンジャーの命がけの行動によりフロム・ビヨンドも壊滅。何とか平和は勝ち取ったぜ!って思ったら政府がヒーローこそが治安を脅かしている!と言い出してヒーロー狩りを始め、そんな中で再び集まった仲間達と共に国会議事堂に特攻。なんとかヒーロー狩りを計画した首相を倒したと思ったら、首相の目的はキングトーチャーやフロム・ビヨンドを裏で牛耳っていたフラメンコ星人に対抗するためだった!と言う、なんかもうヒーローごった煮バラエティアニメと化していた『サムライフラメンコ』だけど、フラメンコ星人を倒した後に現れた宇宙の意志の話を踏まえてみるとちょっと面白いんじゃないだろうか。
というのも宇宙の意志によって明かされたものを統合すると、キングトーチャーもフロム・ビヨンドもそして政府の陰謀もフラメンコ星人も、全て「羽佐間正義が心から願ったことであり、それが実現していった形」ということが明かされた。
思えばそういう風に感じさせるシーンは多々あって、キングトーチャー編において「敵も人間である」ということに気づいた正義は思い詰めた表情を浮かべることがあったし、その後のフラメンジャー編の本当に取ってつけたような展開とその茶番っぷりなんかは正義の熱と連動しているかのようだった。キングトーチャー編に至っては怪人が出ることに対して慣れきってしまう民衆とかも何だかんだでちゃんと描写されていたし、その「正義の熱とは逆に周囲が冷め切っていく具合」という部分があった。思えば随所でそういう部分は匂わせる部分はあったわけで、「羽佐間正義の願望が実現していく」という中に「ヒーロー好き」という設定を混ぜ込んだ結果、フラメンジャー編のような展開になっていただけなのだろう。
ただ本作で面白いのは「そういう事実を突きつけられる」ということではなく、これらの「願望実現」をふま得た上で「羽佐間正義」と言う人間に突きつけられる「ヒーローとして、今後も怪人たちと戦い続けるのか」と「戦いを辞めるのか」と言う選択肢が与えられたことだろう。
宇宙の意志は羽佐間正義という人間が望むのであれば、ヒーローとして何度でも活躍させてやると説いた。それは正義=サムライフラメンコがいつまでもヒーローとして戦い続ける道である。一方で戦いを辞めるということはサムライフラメンコというヒーローの戦いはそこで終わってしまうし、正義はサムライフラメンコをやめて元の生活に戻るということになる。それはつまりサムライフラメンコとして街に飛び出す以前に戻るということでもあるのだが、羽佐間正義が選んだのは「ヒーローとしての戦いをやめない=正しいことをやり続けたい」という選択だった事は、彼が「ヒーローになりたい」でも「敵と戦いたい」でもない、「正しいことをただ正しいと言い続けたい」という純粋な願いを抱いた「人間」だったということなのではないだろうか。
羽佐間正義はフラメンジャーとしてフロム・ビヨンドを倒したし、人々に襲いかかるキングトーチャーも倒した。街で悪さをする人間を注意するだけの人間から名実ともに怪人と戦うヒーローとなったわけだが、そもそも彼はなんのために「サムライフラメンコ」というヒーローとなったのかと思い返してみれば、彼は「ヒーローになりたい」と言う目的で戦い始めたわけではなかった。
傘泥棒された人間の悲しみを知っているからこそ、他人の傘を勝手に使った人間に対して傘を返すように注意したり、ポイ捨てする人間を注意したりと「正しさ」を元に戦っていた。そんな彼がヒーローとして祭り上げられ、ヒーローとして活躍を重ねるうちに彼自身も気づかないうちに変わっていった。
そんな彼が自分自身のヒーロー活動の最初の地点に戻れたのは、かつて自分が助けたホームレスの老人からの言葉。盲目であるがために自分が助けた相手がサムライフラメンコという知らずに「彼の行いがきっかけで始めたことが困っている人に手を差し伸べる」という、サムライフラメンコの原点とも言える行動だった。だからこそ、羽佐間正義はサムライフラメンコとして「戦いをやめるのではなく、本来の戦いの舞台に戻る」と言う選択をするのだろう。
元々は「正しい事をやりたい」というだけで始めたヒーローだからこそ、その行為が出来る場所に戻っていく。
だからこそ、「サムライフラメンコを待ち続ける後藤さん」という描写が生きてくる。
不良達を注意していたりしていた頃のサムライフラメンコと後藤さんと重ね合わせるかのような演出がされていたのは、おそらく「サムライフラメンコ」というヒーローの真の帰還的意味合いでもあるのだから。
あと「サムライフラメンコの戦いを辞めた後は神話として記録される」という設定。あの設定を出したことで『サムライフラメンコ』は「これを見て楽しんでいる視聴者」すらも本作の世界観に組み込んできたのは正直面食らった。
「互いに引き合い、影響されあうことが世界の真理」と語られた事で、羽佐間正義が祖父が残した『サムライフラメンコ』と言う作品に影響を受けたことで自警団活動を始めたように、これを見ている我々も本作を見て某かの思いを抱いたのであれば、それもまた本作が語る「世界の真理」の一部に含まれてしまう。
この「視聴者を巻き込んで当事者の一人にさせてしまう」というやり方は、地味ながらも上手いやり口だと思う。何せ本作は「本物のヒーローの誕生を描く」と言う作品。ヒーローが身を持って証明した何かを受け継ぐ「誰か」がいなければ意味が無いのだから。

そして今ようやく後藤さんというもう一人の主人公にスポットが当たったけれど、世界規模の戦いを繰り広げある意味自分を救ったサムライフラメンコが、後藤さんという親友をどういう救い方をするのだろうか。
正直今までのぶっ飛んだ展開すらもシリーズ構成的には計算づくだったわけなので、この辺の収集もちゃんとつけてくるんだろうなぁ。


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