Entries

『プリティーリズム・レインボーライブ』と彩瀬なるという主人公のプリズムショーについて

『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』と言う本を薦められた事もあって二回ほど読んだのだが、本作はサイレント映画から現在のように音声が付いている映画に至るまでに様々な変遷があったこと、そしてその過渡期においてアニメーションが「どのような変化を遂げてきたのか」ということを記した本として読む意味がある本だった。主に俺にとって。
『ラブライブ!』辺りからアニメのライブシーンについての話をすることが多くなっていて、実際同人誌でもその部分については言及しているんだけど、表題になっている『蒸気船ウィリー』におけるミッキーの口笛というものが持つ意味、そしてその演出がどのような経緯を経てこのような形になってきたのかということを考えると、昨今のライブシーンはむしろ「一周回ってきているようなもの」で、音と映像の同期が取れるようになった今だからこそ「最初期の作品」を語ることの意味というのはやっぱりあって、そういう意味では「今発売されることの意味」というのは存在する本だったように感じる。
この本を読んだことがどのような形で出てくるかはさっぱり分からないが、そんなことを言い始めたらCGWORLDを毎月購読しているのに引用した事って全くないわけで、いつかどこかで使えればいいやぐらいの軽い気持ちでいることとする。


ミッキーはなぜ口笛を吹くのか: アニメーションの表現史 (新潮選書)ミッキーはなぜ口笛を吹くのか: アニメーションの表現史 (新潮選書)
(2013/10/25)
細馬 宏通

商品詳細を見る


で、今一番密度が濃いアニメが集中して放送しているドアサアニメの中でも、頭一つ飛び抜けた出来になっている『プリティーリズム・レインボーライブ』。『オーロラドリーム』や『ディアマイフューチャー』と同じように実質最終話である50話が放送されたわけなのだが、一年間の物語としてやらなければならない事を素晴らしい形でやり遂げてくれた物語であった。
ここに至るまでオーバー・ザ・レインボーセッションを振り返ってみると、まず48話で蓮城寺べるが天羽ジュネを超える七連続ジャンプを見せてくれた。天羽ジュネを超えると序盤から明言し、そのために努力し続けていた少女が、一度の失敗で心を折りそうになりながらも仲間からの愛を知って高く飛び上がり、そしてその「幸せ」を知ってもなお彼女は天羽ジュネを超えてプリズムクイーンになるという目標を、そして自らの夢を実現させるために七連続ジャンプを飛んでみせた。
『宣誓! 永久のワルキューレハート』は「誰も見てくれない」「誰も認めてくれない」という愛に飢えた少女が、愛を得た事で愛を与える側になったからこそ見せられる決意と覚悟のプリズムジャンプだった。
それに対して天羽ジュネは自らの愛を証明するために、己の身を焦がすほどの炎を燃やし太陽となった。命を削って飛んだプリズムジャンプは、天羽ジュネと言う人間をも消滅させようとしていた、というところまでが49話のハイライトであったが、それを受けて今回面白かったことは何かというと「プリズムショーが消滅してしまう」という展開を迎えたことだろう。
プリズムショーの喪失はすなわちこの世界からプリズムの煌めきが失われたということ。
本作におけるプリズムショーというものを改めて問いなおしてみれば、主役となった七人の少女を引き合わせ、結びつかせ、時に競い合いながらも絆を育んできた「絆の象徴」ともいうべきものだった。
そうなのだ。本作はプリズムショーを通じて様々なものを描いてきた。
蓮城寺べるの愛の喪失や愛の獲得、コウジ・いとを結びつかせたのもプリズムショーで、わかなとあんの確執の原因もプリズムショーであれば、和解できたのもプリズムショーのおかげだ。プリズムショーがあったからこそ出会えた人達が、得られたものが本作には溢れている。プリズムショーがなければ、おそらくもっと孤独であったことが明白であるほどに、プリズムショーは七人の少女の傍にあった。それが自然になるほどまでに、本作におけるプリズムショーは馴染んでいた。馴染みすぎていたと言ってもけして言い過ぎではないだろう。
そんなプリズムショーの喪失は、彼女達の常に傍にあったものが失われるということ。そしてそれは彼女達の絆の象徴の消滅でもある。「プリズムショーがあれば繋がっていられる」というのは『DMF』でみあとヘインが信じたものだが、本作ではそんなプリズムショーが失われてしまった。
これが本作の最大の危機でなくてなんだといえるのだろうか。
そんな中、ジュネを救うために消滅したりんね。
プリズムショーの喪失と同時に起こったりんねの消滅はなるにとって二重の意味となってのしかかってくる。「共にいた」と「だから出会えた」はりんねにも当てはまるのだから。
だからこそプリズムショーが失われた世界において、ありあわせの衣装を身にまとい、何度も転びながら、涙を流しながらプリズムショーを行おうとする彩瀬なると言う少女の決意が重く、そして尊いのだ。
プリズムの煌めきが失われ、心の煌めきだけでプリズムショーが出来なくなったからこそ、自分の力だけで何度転んでも、何度だって立ち上がり、自分の持てる力だけでプリズムショーをやってみせる。ありあわせの素材だけで作られた衣装は「プリズムワールド」という別世界の力を借りない「モモの力」だ。心の煌きで滑り出すスケート靴が機能しない中で、あれだけのパフォーマンスを見せられるのは彩瀬なる本人の力だし、そんななるを何度転んでも立ち上がらせるのは、プリズムショーを愛する全ての人間の力だろう。
あの場にあったものは全てプリズムショーが出来なくなりながらも、それでも立ち上がり続ける「人間の力」だ。だからこそ、世界に再びプリズムの煌きは宿る。
プリズムショーがなぜ復活したのか。それは奇跡でも伝説でも何でもない。
「自分達の力だけで何かを成し遂げようとする」。その心に煌めきが宿っているからだ。
「プリズムの煌めきはいつだってそばにあって、消えるものじゃない」。
だからこそ彩瀬なるのプリズムライブは彼女の心の音を奏でる。彼女の持つプリズムの煌めきが、世界に溢れていく。
「ハピなるアロー無限大」は心の煌めきが「どんなことがあっても喪失しない」ということを示す。
人間の心に煌めきがある限り、プリズムの煌めきは無限大に広がっていくのである。
なぜそれを彼女が出来たのか。それはりんねと共にプリズムの煌めきが生み出すものを常に見続けてきたからだ。
彼女はりんねに誘われてプリズムショーのステージに上り、りんねと共に仲間達を見続けてきた。時に傷つく姿を、時に喜ぶ姿を見続けてきた彼女だからこそ、プリズムの煌めきはそう簡単に失われるものじゃないことを知っていて、だからこそ彼女はプリズムの煌めきが喪失した世界において、その存在を信じられる。今は消えていても、それでも煌めきは再び宿ると信じる彼女のプリズムショーが尊く映るのは、彼女が最期までプリズムの煌めきを信じ続けた存在だからこそだ。
だから尊く力強い。どれだけみっともなくてどれだけ点数が低くても、彩瀬なるがあの時、自分の力だけで見せてくれたプリズムショーは人間の持つ心の可能性だった。それは「無限大」で「ハピなる」な煌めきだと言えるだろう。

またその後の七人によるプリズムライブもさることながら、ジュネにつきつけられた「記憶を喪失し、相手が絶対に自分を愛してくれるとは限らないとしても、それでも人間として生きていくことを選ぶか」という問いかけは重い。
それは限りなく現実だから。だからこそ、それを分かった上で頷くジュネの愛が生きてくる。実質最終回であるエピローグで、ジュネと聖がくっつくといいな! 例え「愛がいつか失われるとしても、いつかまた出会うだろうから。
ついでにみたいになったけど、りんねとなる達が再び出会えるといいな……。永遠の別れじゃないというのはわかっているけど、また出会って欲しい……。


プリティーリズム・レインボーライブ プリズム☆ミュージックコレクションDXプリティーリズム・レインボーライブ プリズム☆ミュージックコレクションDX
(2014/04/23)
V.A.

商品詳細を見る



プリティーリズム・レインボーライブ DVD BOX-1プリティーリズム・レインボーライブ DVD BOX-1
(2013/12/20)
加藤英美里、小松未可子 他

商品詳細を見る




スポンサーサイト
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://ilya0320.blog14.fc2.com/tb.php/2019-916c0cb0

0件のトラックバック

0件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

Appendix

魔界戦線


■DREAM WING(C87新刊)


■プリズムアライブ(C86新刊)
44829979_m.jpg
とらのあなで委託中

■スイッチオン!(C85新刊)
アイカツ3
とらのあなで委託してました

■RUNWAY
表紙
とらのあなで委託してました

プロフィール

  • Author:水音
  • tumblrの方が積極的に更新してるマン。
    面倒くさがりなので、Twitterのほうが捕まります。

    魔界戦線



    連絡先  :mizune.moon.sounds@gmail.com
    @を半角にして下さい

カウンター