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『ラブライブ!』二期十一話に見るμ'sの終わりとその儚さについて

『あいまいみー』二期のPVが公開されたので早速視聴していたのだが、大地を割るミィの姿があるということはこれはもしやあの伝説の処女声優回が映像化されるということなのか……。あの処女声優回の何が凄いって処女声優かどうかが争点になるのではなく、処女声優を処女だと信じる麻衣対2chの情報を鵜呑みにするミィと言う構図になっているところなのだが、あの回を本当に映像にするというのかいまざきいつき。内田真礼と内田彩が「処女」と連呼しまくる事になるんだぞ!
いや一期の頃から「処女のホットパンツになりたい」だの言ってたのである意味予定調和ではあるのだが、本当に二期は一期のFX回級の話がいっぱいありそうなのがPVから伝わってくるのがいいわぁ。
シニヨンのミィがあるということはマジキチ島の話がありそうだし、「すみません……やっぱ思いつかないんで殺してください……」もあのPVを見る限りありそうだしなぁ。



『ラブライブ!』二期十一話が八話から続いてきた話をまとめた上で、「卒業」に対して向き合っていてとても面白かった。
前回の十話で「自分達の原動力」が「皆」であることを自覚し、μ'sらしさとは「皆と共に歩んでいくこと」を描いたいうわけなのだが、今週の十一話で描かれたのはそんなμ'sだからこそ三年生が卒業した後のμ'sをどうするかという物語だった。
雪穂と亜里沙も無事に音ノ木坂学院へ合格した中、改めて雪穂の口から語られたのは三年生の卒業した後のμ'sの存続改めて問いかけられてみれば三年生が卒業した後にどうするのかということは、メンバーの中でも避けられていた問題だった。そのことについて「どうすればいいのか」と悩む穂乃果達。答えが出ないまま迎えたある日の朝、雪穂と亜里沙が出したスクールアイドルへの決意を聞いた穂乃果が、そしてμ'sが出した結論とはどういったものだったのだろうか、と言う十一話だが、そもそも『ラブライブ!』二期ではOPであるような「今出会えた事の奇跡」や「今だからこそ出来る事」、そして「μ'sらしさ」というμ's自体の存在意義について問いかけるようなドラマ展開がされてきていた。
その事はA-RISEとの前哨戦で自分達らしさを失っていく姿や東條希の夢という形でも描かれてきたし、前回のキャッチフレーズやμ'sの原動力についてもそうした「今出会えたことの奇跡」や「今だからこそできる事」がこの二期の物語の根底に込められているからこそ出てきたもので、だからこそ「みんなで叶える物語」という『ラブライブ!』と言うコンテンツそのもののキャッチフレーズに『μ's』という九人の物語を着地させたことは非常に物語として、そして『ラブライブ!』として美しい着地をさせている。だが、だからこそ改めて「三年生が卒業した後のμ's」の姿を問われた時、その問いかけは「μ'sとは」ということを問うことに繋がっていく。
「三年生の卒業した後のμ'sとは」という問いは卒業していく者、残される者、そして彼女達に憧れて音ノ木坂学院を目指した者にとっても強い意味を持つのである。
そしてこの解答は二者択一だ。
「μ'sの名を残して六人でやっていく」か「μ'sを終わらせる」かだ。
卒業していく矢澤にこは「残してくれる方が卒業していった者として嬉しい」と語るが、それは間違いなくそうだろう。
自分達が頑張ってきた活動が名前としていつまでも残り続ける。それは自分達の青春が、九人で過ごしてきた日々が名前とともに永遠性を持つことであり、矢澤にこはその永遠性を含めて「名前を残してほしい=六人でも続けていってほしい」と語るのだ。そこで「アイドルらしさ」を出す辺りが彼女らしい照れ隠しの要素だと思うが、これはこれで美しい選択ではあると思うのだが、しかし穂乃果達が出した解答はにこの考えとは真逆の「μ'sを終わらせる」ということだった。
なぜ穂乃果達はμ'sを終わらせる事を決意したのだろうか。
それは「μ'sは九人だからこそμ's」だからだ。
μ'sはいつだって九人共にやってこれた。九人だからこそオープンキャンパスでのライブを成功させられたし、『Snow halation』が生まれたのはこの九人がいたからこそだ。ラブライブ!本戦のステージへと進むことが出来たのも九人がいたからで、μ'sのアイドル活動はいつだって九人揃っていたからこそ突き進んでこれたし、九人だったからこそ今があるのだ。
そしてそんな九人だからこそ彼女達が困っている時に助けを出してくれたり、応援する人々がいるのだろう。
μ'sは高坂穂乃果、南ことり、園田海未、星空凛、小泉花陽、西木野真姫、絢瀬絵里、東條希、矢澤にこの九人が揃っていたからこその今のμ'sなのだ。
だからこそ雪穂と亜里沙の出した「μ'sに入らない」という決意と穂乃果達の出した「μ'sを終わらせる」と言う決断が重ねられる。「μ'sはこの九人じゃなければμ'sではないし、この九人だからこそ「μ's」として活動してこれたし、その結果として今の自分達を作り出している。だからこそ絢瀬絵里が、東條希が、矢澤にこが卒業したμ'sはμ'sであってμ'sではない」という結論になるのもまた自然なことなのだ。
だからこそ穂乃果達の決断は儚さを帯びる。。「この九人だからμ's」ということが分かったからこそ「この九人のμ'sとして終わらせたい」という決断はその儚さがあるからこそ尊いのだ。

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「大会が終わったら! μ'sは! おしまいにします!」
 
「やっぱりこの九人なんだよ。この九人がμ'sなんだよ」
「誰かが抜けて、誰かが入って、それが普通なのは分かっています」
「でも、私達はそうじゃない」
「μ'sはこの九人」「誰かが抜けるなんて考えられない」
「一人でも欠けたらμ'sじゃないの」


今回の一件は「三年生卒業」と言う事が発端であるが、それだけの話ではない。
一年後には穂乃果達も卒業していくし、二年後には一年生も卒業していく。
彼女達が卒業した後も音ノ木坂学院のスクールアイドルがμ'sの名を継承していけばそれはそれで自分達の青春が無駄ではなかったことを思い出せるだろう。誇らしくもあるだろう。
しかし彼女達が卒業した後のμ'sにはあの時の九人の姿はない。衝突しあう事を恐れず、相手を理解していく事で一歩づつ皆で進んでいくこの九人が作り出すμ'sの姿は今だけの儚い存在なのだ。
穂乃果達が出した決断はその「今だけしか存在していない」という「儚さ」を理解している。
「今のこの九人でいられる時間」というものが近いうちに終わることを理解しているからこそ、彼女達はこの九人でいられた時間を、手に入れてきたものを、そして九人が一つの場所に集えた奇跡を「自分達のもの」とするために「『μ's』と言う彼女達の今までの象徴を自分達の手で終わらせる」という決断を下している。
μ'sの名前が残ることに依る永遠性に縋るのではなく、μ'sを本当に大切に思っているからこそ終わらせるのだ。
この決断が尊い決断と言わずしてなんだというのか。
彼女達ほどμ'sというものを大切にしている存在がいない。この九人でいられる時間を尊んでいる存在はいない。
だからこそそんなμ'sの幕引きを自分達でしようとしているその姿が胸を打つ。

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九人で遊んだこと。九人で海を見た事。そして九人で写真を撮った事。
自分達で終わらせようとするからこそ、残り僅かな時間の中で九人で過ごしたその一つ一つの出来事がμ'sの思い出になっていく。

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残り僅かな時間の中で、それでも終わらせる決断を下した彼女達が見せるその汗と涙は彼女達のアイドル活動の、そして青春の煌めきだ。
「今出会えた事の奇跡」を噛み締めながら進む先に待つラブライブ!のステージはきっと彼女達にとって最も輝かしい、そして最高に青春なステージに違いない。

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「でも、μ'sは私達だけのものにしたい。にこちゃん達のいないμ'sなんて嫌なの!私が嫌なの!」

ところで今回面白かったのは穂乃果の妹である雪穂と絵里の妹である亜里沙の描き方とその決断だ。
今まで亜里沙と雪穂は常にワンセットとして描かれてきた。亜里沙は純粋なμ'sのファンとして、雪穂は現実を見据えた上で活動を応援する存在として描かれてきたのだが、亜里沙が「μ'sに入りたい」と言うことを夢のように語っている事を知っているからこそ「三年生が卒業した後のμ's」という問題提起をする冒頭の流れが実に面白い。

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ここには「μ's」というものに対する問題提起でもあるが、同時に彼女なり(=ファン視点)の「μ'sらしさ」というものを感じさせるような台詞となっている。
「μ'sに入りたい」と純粋に語る亜里沙に対して、彼女が問うたのはそういう「三年生が卒業した後のμ's」というものに対してどこかで違和感を感じていたからに違いない。違和感を感じていなかったのならば問題提起などする必要がないし、亜里沙の純粋な「μ'sに入りたい」という願いに対してあのような複雑な表情をする必要がないからだ。
だからこそ面白いのは彼女達は彼女達なりのスクールアイドルを目指すと言う決断だが、ここには「彼女達、ファンにとってもまたμ'sとはあの九人でなければならない」という認識が存在している。
この「ファンにとってもμ'sは九人でなければならない」と言う認識の存在が先に提示されているからこそ、穂乃果達の決断がより一層真剣味を帯びる。あれだけμ'sが好きで憧れていた亜里沙の「μ'sには居場所がない」という言葉は、それだけ「μ's」と言う存在が「あの九人だからこその存在」という事を強調させてくれる。
そのファン視点での「九人の価値」を強調しているからこそ、「名前を残す」ということで永遠となったμ'sの一人になるのではなく、「この九人」の象徴であるμ'sを終わらせようという穂乃果の決断と一日遊びまわる事で刻まれる九人の思い出が「終わりがあるからこそとても愛おしいもの」として描かれているのである。

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二期六話で用いられた挿入歌には「涙は青春のダイヤモンド」というフレーズがあるのだが、「別れが訪れること」を強く理解したからこそ流れ出る涙は、彼女達一人一人がそれだけこの九人が好きで、この九人だからやってきたこと全てがとても大切にしているからこそ流れ出る青春の欠片なのだ。
今回の絵コンテ・演出を手がけたのは酒井和男氏だが、自然に流れ出る涙を振りきって走りだした穂乃果の涙を煌めきとして表現していたり、彼女達の決断をちゃんと尊いものとして描き切っているが、実は氏は『ラブライブ!』一期七話でも絵コンテとして参加している。一期七話といえば絢瀬絵里にスポットが当たった『ラブライブ!』一期でも重要な回だが、今回もそれに負けず劣らず重要な回であり見事に青春のドラマとして成立している。とても素晴らしい仕事っぷりであった。
また二期では京極尚彦監督の「出会い」と「一緒にいること」に対するシビアな価値観を随所で感じるのだが、今回描かれたものは「どんなに仲が良くても別れがやってくる」というシビアな一面だった。しかしだからこそ「今一緒にいられること」の尊さを噛みしめられる物語が構築された時に、その「出会い」と「一緒にいること」に対するシビアな価値観は儚さを伴ったものとなって描いたものの尊さを引き立てるのである。

さて『ラブライブ!』二期も、そしてμ'sが九人でいられる時間も残り僅か。
彼女達が全力で駆け抜けていくその先に待つ結末が待ち遠しくて仕方がない。


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