Entries

『幕末Rock』に見る「音楽時代劇」としての丁寧さについて

『レディジュエルペット』。
この作品では毎回「レディたるもの」という前振りで毎回お題が提示され、それを乗り越えていくというのが基本的な物語のフォーマットとして存在しているのだが、このフォーマットに沿った上でお題の扱い方が毎回違うところが本作のこの「見なくてもいい話の無さ」を生み出しているような気がする。
例えば先週に関してはお題は自撮りで、「自分を一番魅力的に見せるやり方を自覚しよう」というものを描いていたわけなのだが、あの回の「自撮り」というお題はどちらかといえば「カイエンが転校してしまう事に対して感情の整理がつかず、心ここにあらずな状態になってしまうももな」を描写するためのものだった。だからこそお題が提示されてルビーと共に自撮りの練習をする時間になった時、その表情が写真として切り取られた上でももな自身を客観視するためのアイテムとして利用されている。その発展形として出てきたのがいざ本番!となった時にルビーの何気ない応援の一言がカイエンとの別れを思い出させてしまい、「泣きながら笑う」と言う表情の切り取りを生み出し、ももなのカイエンに抱く無自覚な感情を客観視させながら引き出してくれているのである。
このように『レディジュエルペット』は「お題を出してそれを乗り越えていく」と言う基本フォーマットを守りながらも、そのお題の扱いを変化させることで毎週の変化を生み出しており、先週のようなコアとなる物語を進める際においてもそれを外さない。その「基本フォーマットをあくまで守り続ける」と言う姿勢は「基本フォーマットから外れた時の新鮮さ」を与えることに成功しており、デート回と今週のデートリベンジ回の重要さが次回予告からも察することが出来るようになっていることで、その期待感だけで正直楽しませてくれる。
こーいう設計の美しさが光る作品は極めて大事だと思います、はい。



時は幕末。都は徳川幕府直属の最高愛獲、新選組とその新選組の歌う天歌に支配され、人々は天歌泰平を謳歌していた! 音楽で一旗上げるために都にやってきた坂本龍馬は自分の音楽を認めてもらうために、禁制品のギターを片手に仲間達と共に立ち上がる! 坂本龍馬達のロックの魂が民の心を変えられるのか。今彼らのロックな戦いが幕を開ける――。
今期は音楽やアイドルを題材としている作品が多い中で一際人目を引くのが本作『幕末Rock』。
先述したように「幕府直属の最高愛獲(トップアイドル)・新選組」や彼らの奏でる「天歌(ヘブンズソング)」が民の心を鷲掴みにしており、幕府が天歌以外を認めていないなど何ともぶっ飛んだ世界観が特徴である本作だが、本作が魅力として世界観こそぶっ飛んでいるものの、歴史ネタを非常に丁寧に扱った物語となっている事と題材の一つになっている「ロック」の歴史的背景をちゃんと汲み取って扱っているということが上げられるだろう。
まず一つ目の歴史ネタの扱い方だが、本作の主人公となっている坂本龍馬や高杉晋作、桂小太郎といった人間達は大雑把に言ってしまえば「幕府のやり方に対して疑問を抱えている人々」だ。この点は史実においても同じであるのだが、現実においてはその辺りは政治的な部分や海外に対する危機意識の無さなどを理由に幕府に対して強い反発を抱えている人物ではあるのだが、本作で面白いのはそうした「幕府」と「幕府に対して疑問を抱えている人々」という対立構図はそのままにして、両者の思想を単純化した上で「異なる音楽同士の対立」という形に落としこんでいる。
『幕末Rock』における幕府と坂本龍馬達を一言で言えば「天歌以外を認めない」と言う存在であり、それに反発する坂本龍馬達は「天歌以外の音楽を認めさせよう」という存在だ。「幕府と幕府のやり方に疑問を持つ存在」と言う史実における両者の関係性はかなり単純化されているが、それ故に「天歌以外を認めていない」幕府と「天歌以外を認めさせよう」という坂本龍馬達の音楽に対する意識の違いは「音楽性の違い」と言う形で真っ向から対立するような構図の形成に成功している。
また本作のキャラクター達の思想を「音楽性」という部分で縛ってしまうことで、中心となる反体制側の坂本龍馬達と体制側の新選組内部の結束が分かりやすくなる。物語上はロック対天歌(アイドルソング)と言う構図だからこそ、メンバー間を「同じ音楽を志す者達」としてしまう事で対立構図はより際立ったものへと変わる。そうした「史実の人物や思想対立の単純化」することで「対立させた時にドラマを生じさせる」事で『幕末Rock』の物語をより熱くさせる。そしてそうした単純化こそが坂本龍馬達の「幕府に対する疑問」を強調しており、「体制側の弾圧からの解放を目指す者達の革命譚」という骨太かつ直球な物語はとても熱い物語に見えるのだ。
加えて反体制側である坂本龍馬達が「音楽の自由」を説く際の自分達の音楽としてロックを採用しているところも面白い。
なぜならそもそも「ロック」とはR&Bなどの白人社会において黒人音楽であるという理由のみで弾圧を受けたロックンロールに出自を持つからである。もちろんロックンロールを支持していた者達の中には白人もいたわけなのだが、ロックンロールをルーツとして持つロックもまたそうした反体制・反社会的な側面を持つ音楽といっても過言ではないだろう。
そうした背景を持つロックだからこそ『幕末Rock』において坂本龍馬達の音楽としてロックが用いられる事に面白さがある。音楽の自由を認めない幕府に反発する自由を求めるロックは、反体制側の音楽としてとても意味のある音楽なのだ。
最近「物語における音楽の立ち位置」が工夫された作品が出てきている。
中島哲也監督作品の『渇き。』ではでんぱ組のアイドルソングが破壊的な音楽として用いられており、ヒロインによって価値観や常識が破壊された際の象徴としてとても印象深いものだった。そして『幕末Rock』もまたそんな「音楽の立ち位置」を工夫した作品だろう。
「音楽が体制側によって弾圧されている」と言う「社会における音楽の立ち位置では」河森正治・平池芳正・岡田麿里による『AKB0048』を思い出させるし、時代劇らしからぬぶっ飛んだ世界観は『戦国BASARA』的なものを感じさせる。また「ワシの歌を聞くぜよ!」とギターを奏でる姿は『マクロス7』の熱気バサラ的でもある。いずれにしても「ロック」という音楽の歴史的背景や史実を正しく捉える事によったアレンジの丁寧さが際立つ。ぶっ飛んだ世界観ではあるものの、だからこそシンプルかつ骨太な物語は世界観と物語が魅力的だ。
ロック×時代劇という組み合わせの奇抜さやぶっ飛んだ演出やギター狩り、雷舞などの言語センス。それらが組み合わさることで奏でられる『幕末Rock』は「音楽」というものを扱った作品として心に留めておきたい一作だといえるだろう。

ところで『幕末Rock』の監督である川崎逸朗はこの他にも『レディジュエルペット』の監督もやっているわけで、「大丈夫なんだろうか」とちょっと心配しちゃうわ。


幕末Rock第2巻(初回限定版)(雷舞イベント(夜の部)優先販売申込券・特製CD同梱) [Blu-ray]幕末Rock第2巻(初回限定版)(雷舞イベント(夜の部)優先販売申込券・特製CD同梱) [Blu-ray]
(2014/09/26)
谷山紀章、鈴木達央 他

商品詳細を見る

スポンサーサイト
この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)
http://ilya0320.blog14.fc2.com/tb.php/2052-5ab863c1

0件のトラックバック

0件のコメント

コメントの投稿

投稿フォーム
投稿した内容は管理者にだけ閲覧出来ます

Appendix

魔界戦線


■DREAM WING(C87新刊)


■プリズムアライブ(C86新刊)
44829979_m.jpg
とらのあなで委託中

■スイッチオン!(C85新刊)
アイカツ3
とらのあなで委託してました

■RUNWAY
表紙
とらのあなで委託してました

プロフィール

  • Author:水音
  • tumblrの方が積極的に更新してるマン。
    面倒くさがりなので、Twitterのほうが捕まります。

    魔界戦線



    連絡先  :mizune.moon.sounds@gmail.com
    @を半角にして下さい

カウンター