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『少年ハリウッド』と今という永遠を生きるアイドル、ゴッドについて

友人である水星さんが今年も9月6日の黒髪ロングの日に黒髪ロング祭、通称黒ロン祭をやるとの事で、今年も勝手にロゴを製作しました。フォント弄り芸の一環でやっただけなんですが、気に入ってもらえたようで何より。

【告知】「黒ロンオブザイヤー2014」開催のお知らせ

前回が『ラブライブ!』風だったので今年はどうしようかと迷った末に『キルミーベイベー』と『Wake Up,Girls』の二つを出したのですが、これらは全て既製フォントで製作しております。特に技能というものは必要ないです。せいぜい文字一つ一つの場所を調整するぐらいで、慣れは必要ですけど五分ぐらいで出来たものなので大したことないかと。
こういう「オリジナルに似せたロゴデザイン」というのは割とよくあるものですが、大体の場合はパロディというギャグの文脈に乗っかる代物であるということは否定出来ないと思います。現に今回の黒ロン祭のロゴは『WUG』や『キルミーベイベー』といったオリジナルを構成する要素に対するパロディであり、「そういや黒ロンいたなぁ」とか「黒ロンいない作品なのになんで!?」というツッコミを前提としております。そういう「オリジナルの情報を流入させる」と言うのはパロディ効果の基本とも言える部分ですが、その作品の特徴を端的に込めるタイトルロゴはいわば作品の顔であり、それのパロディというのは作中に存在する要素をパロディにするよりもより強力なパロディ効果を見込めるものです。だからこそ「タイトルロゴのパロディ」というのは作品のキービジュアル以上にパロディでも多用され、定番中の定番としての地位を確立しているのではないでしょうか。
何が言いたいのか俺もよく分からなくなってきましたが、タイトルロゴは奥が深いのでこれからも色々やっていきたいところでありますし、自分の本でもそういうパロディは率先して採用していきたいですね。今までで自分の指定でそこまでになったのは一冊目ぐらいなんだけども(あれはラブライブ!一巻のパロディ)。



『少年ハリウッド』はアイドルを冷静に分析した上で「アイドルにとって大切なもの」「アイドルだからこそ生きるもの」をドラマとして盛り込んだドラマづくりをしている。アイドルにとっての「音痴」という問題に対しても真向から挑んでおり、「アイドル」へと変わっていく少年達の青春ドラマとして非常に魅力的だが、そんなアニメの前日談に当たるのが原作版『少年ハリウッド』である。


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(2014/06/06)
橋口 いくよ

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アニメ版の十五年前に活動していた初代初年ハリウッド。そんな初代少年ハリウッドで活躍していたアイドル達と少年ハリウッドが伝説となるまでを描いたのが原作版『少年ハリウッド』だが、「原作のその後をアニメでやる」と言うやり方自体はそれほど珍しくはない。京都アニメーションの『Free!』で行われた手法でも行われており、アニメの人気もあって原作も売れているようなのでこれはこれで面白いやり方だろう。現に『少年ハリウッド』でも「初代少年ハリウッド」達は登場しており、良き先輩として二代目達の悩みに対して向き合っていたりもする。「前日談」として登場人物たちが共有している「何か」に好奇心を掻き立てられながらも、その「何か」から時間を隔てているからこその物語作りをしているという点で『少年ハリウッド』と『Free!』は似ているように思う。
『Free!』において幼馴染五人が共有している「リレー」のように、『少年ハリウッド』において初代少年ハリウッド達が共有しているものは「少年ハリウッドとして活動していた記憶」だ。原作版で描かれているものはそんな「少年ハリウッドだった頃の記憶」の断片であり、「彼らがアイドルになっていくまでの物語」であり、「今という夢に生きられる者と生きられなかった者の物語」だ。
原作版『少年ハリウッド』では明確にアイドルになれる人間となれない人間が描かれている。社長の方針により登場するキャラクター達の多くは果物を名前を与えられているのだが、そんな「果物だらけ」の世界の中でもアイドルになれる人間とそうじゃない人間は存在しているのである。どちらも社長が与えた試練を乗り越えて少年ハリウッドに入ったにも関わらずだ。
両者を分けた違いは突き詰めると「アイドルになれる人間かどうか」なのだが、「アイドルになれる人間」とはどういう存在なのだろうか。本作では少なくとも「ステージに難なく上がることが出来る」というのが一つ、そしてもう一つが「未来を考えずに全力で今しか生きられない」ということだ。
本作で描かれているアイドル達はいずれも「今」しかない。社長に素質を見出され、今を必死で生きながら観客達に今の自分全てを曝け出す。人間としての経歴を全て置いてステージに立つからこそアイドルは輝いて見えるのだと本作では描かれている。それが顕著に現れているのが本作の主人公の一人であり、アニメ版においてシャチョウとして登場するゴッドだろう。
ゴッドはアイドルになりたかったもののその手段が見当たらずに大人になってしまった人間だ。
原作版開始時点で三十二歳。アニメ版においては四十七歳という年齢となって登場するゴッドだが、彼は三十二歳にしてようやくシャチョウに見出されてアイドルとしてステージに立つことになる。そんな夢に生きようとする姿は異様だといえる。
そこそこの生活を手に入れ、そこそこの人生を歩めるにもかかわらず、諦めかけていた「アイドル」という夢が叶った時、彼は悩みながらも桜木広司としての人生を捨て、少年ハリウッドに舞い降りた神、柊剛人=ゴッドとしての人生を選択する。三十二歳と言う年齢にもかかわらず、彼は大人のように「未来の安定」を求めることなく、むしろアイドルという存在に魅せられてその安定を否定するその姿は大人としては異様であり恐ろしい存在だ。
作中においてそんなゴッドの選択はゴッドをよく知る親友の口から一度は非難されている。
「自分が本当にやりたかったことを忘れて生きていく」と言う事こそが現実を生きるという事だと。
確かにそれは否定出来ない。必ず夢は叶うわけではない以上、どこかで夢に見切りをつける必要はあるはずで、諦めた先にはそれなりの人生が待っているはずだ。特に柊剛人、桜木広司にとってはそれなりの人生がある。おそらくその道でも生きていけることは作中でも繰り返し描写されている。
しかし「夢を現実に生きていく」ということは必ずしも間違いではない。ましてや本当にやりたいことは何歳になっても叶うし、叶っていく。かつて抱いた夢を終わらせるため、本当にやりたかった事に決着を着けるために、そうした「そこそこの未来」を殴り捨て、「アイドル」という今の未来を生きる選択をするゴッド。
そんなゴッドだからこそ今を生きようとするアイドルになれるのだ。未来に対してそれなりに価値を知っているからこそ、今しか存在しない「アイドル」になった時、彼は少年ハリウッドに舞い降りた神になれるのだろう。そう考えると彼がシャチョウにスカウトされたのもまた必然だったのだろう。
青年ではなく、三十二歳の中年である桜木広司がスカウトされたのはそんな「未来の存在を知っていてもなお今を生きられる」そんな存在になれるだけの素養を持ち合わせていたからだろう。アイドルという夢にすがり続け、自分を騙しながらそこそこの人生を歩んでいたからこそ、三十二歳の桜木広司は十七歳の柊剛人というアイドルへと変わることが出来たのだ。
そんなゴッドと対比されるシャチョウもまた面白い。断片的にしか語られていないが、彼は彼で「アイドルという夢を叶えられなかった」と言う存在だ。そういう意味ではゴッドとシャチョウは同じだと言えるのだが、ただゴッドのほうがシャチョウよりも少しだけ他の生き方を考えられないまでに不器用だった。それだけの話なのだが、そんな彼だからこそゴッドには惹かれるものがあったのかもしれない。

アニメ版少年ハリウッド五話で「皆、それぞれ夢を求めている。自分達が期待はずれだと思われても誠心誠意込めて、それぞれの求めている夢に答えてあげたい」という話がされたが、ゴッドはそんな「多くの人が諦めてしまう夢を諦めなかった事で叶えた」と言う存在だ。だからこそ彼はゴッドなのだ。永遠の十七歳として彼はいつまでも永遠なのであり、そしてそんな彼が永遠となれた場所、少年ハリウッドはいつまで経っても色褪せない伝説のアイドルなのである。



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