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『少年ハリウッド』と永遠のその先へ向かうアイドル達について

アニメ版『艦隊これくしょん』三話で如月が轟沈したわけなのだが、果たして轟沈させた事が正解だったかどうかは物語の全てを見たわけではない俺には分からない。しかし少なくとも「如月の轟沈は妥当だったかどうか」と言う注目点が増えた事だけは間違いなく、この後の四話以降の方が視聴意欲が増していることだけは否定出来ない。
ただ少なくとも三話に関して言える事が一つだけある。それは轟沈に至るまでの流れは上手くはないということだ。睦月にドラマを寄せた展開をして如月の死を演出するのはいいのだが、そんな如月の死を描いたところで、現状演出できるものは「モブキャラの死」以上の何者でもない。
二話までは吹雪に視点を寄せて物語を展開してきたのだから、吹雪に物語を背負わせようと思うなら夕立や睦月や川内型といった第三水雷戦隊や、吹雪が憧れている赤城の方が正しいだろう。如月の死を持って「この作品は人の生き死にがある作品ですよ」と言うことを演出したいにしても、如月をモブキャラと同じ格にまで落としてまでやらなきゃいけないこととも思えない。
「死ぬ」ということ自体はどうでもいいのだが、ああいう殺し方はよろしくない。モブキャラのような殺し方をされた以上、それを組み込むのも難しいような。まあ今後その辺りは掘り下げられるだろうから、まずはそれを見てからというところか。



「アイドルの輝きとは何か」「アイドルになるということはどういうことか」をテーマに、五人の「顔がいいだけの少年達」が「アイドルユニット・少年ハリウッド」として初のステージに立つまでを描いた『少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-』はアイドルを描いたアイドルアニメがアニメシーンで話題になることが多い今だからこそ、題材となっている「アイドル」というものについて考えさせる一作だった。
そんな『少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-』の二期シリーズとして一月から放送開始となったのが『少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 50-』だ。
クリスマスに五人が初のライブを行ってから半年後を舞台に描かれる第二期シリーズだが、一期が「五人がアイドルとしてステージに始めて立つ」というところに焦点を絞りきり、「この後の五人はアイドルとしてきっと活躍していくのだろう」と想像させるほどの余韻を残しながら終わっただけに、直後に二期が告知された時には「一体何が描かれるのか」と期待半分不安半分だったのだが、二期を視聴してみれば少なくとも不安は杞憂だったと思い知らされた。

十四話(一期からナンバリングは継続されているため、実際には二期一話)は、「デビューから半年が経った事で彼らの生活が変わりつつある」というところに焦点を当て、サブタイトル通り「永遠のど真ん中」にいる五人の姿を描いており、一期の余韻を引き継いでいることがよく分かる。
ライブのチラシ配りをしている時にファンに話しかけられたり、彼らのチラシを見て話し合っている人々、ハリウッド東京の前に出来た長蛇の列の描写は、自分達のステージに立つようになってから時間が経過し、風見颯のモノローグにあるように五人が今、一期でのステージを経て「夢の中にいる」と言うことを感じさせる描写だ。
そんな十四話の面白いところはそんな一期の余韻をただ引き継いでいるだけではなく、二期の導入になれるような一話となっていることだ。
「永遠never ever」の歌い出しは甘木生馬が担当しているのに、レコーディングの日に風邪で倒れていたために佐伯希星に歌い出しを取られた事についてを「運」の一言で括るシビアさ。そんな偶然の産物が生み出した「佐伯希星版永遠never ever」と「甘木生馬版永遠never ever」についてファン同士が「どちらがいいか」を議論しあうという、グループの中ですら発生する競争原理。いずれもデビュー前の一期では絶対に描けなかったものだ。
デビューしてから時間が経ってある程度人気を獲得し、「永遠のど真ん中」にいる二期だからこそ出来る冷たく鋭い視点は、彼らの物語は次のステージへと進んでいることを実感させる。
そのステージはある意味ではデビュー前よりも残酷な世界だ。だが、そんな残酷な世界だからこそ描けるものがある。十四話ではそんな「残酷な世界に身を置いたからこそ見えるもの」を断片的にではあるが見せている。「永遠の終り」を歌う「永遠 never ever」が十四話の締めくくりに使われていることもその一つだろうし、自分達に興味を持とうとしない様を「食わず嫌い」と比喩しているのもそんな断片なのだろう。
そうして散りばめられた断片が、物語が紡がれるに連れて一つの大きな流れとなり渦巻いていくに違いない。

十四話がそんな少年ハリウッド達の導入ならば、十五話はシャチョウの物語の導入とも言える一話だ。
「少年ハリウッドの守り神」と呼ばれているミミズクのキャットの視点を通じて初代少年ハリウッドの解散の真相を描いたこの十五話では、初代シャチョウの事故死によって「永遠」を見失ってしまった初代少年ハリウッド達が、自分達の「少年ハリウッド」を永遠にする覚悟が描かれている。
『少年ハリウッド』の中では「永遠」というものは存在しないものとして描かれている。仮に存在するとすればそれは過去や記憶の中だけであり、今も未来も永遠にはなれないものとして描いている。だから初代少年ハリウッド達はシャチョウが作り出した「少年ハリウッド」を、シャチョウが夢見た永遠にしようとすると「終わらせる」以外の選択肢がなくなる。だから彼らは「永遠」のために人気がある内に解散し、アイドルになる前に夢見た自分達への道へと戻っていった。
ただ一人、「少年ハリウッドに降臨した神」であるゴッドを除いて。
ゴッドは誰もいなくなったハリウッド東京に戻ってきた。そしてゴッドの帰還から『少年ハリウッド』と言う物語が始まる。
なぜ彼は戻ってきたのか。
物語の中でまだ明確に描かれてはいない。しかし今までの彼の描写から何となく察することは出来るはずだ。
ゴッドがハリウッド東京に戻ってきて少年ハリウッドを復活させてまでもやりたかったこと。
それはおそらく「永遠がない世界だからこそ、少年ハリウッドを永遠以上のものにしたい」ということなのではないだろうか。
初代シャチョウの死が遠因となって解散した初代は、確かに人々の記憶の中では永遠となっている。だからこそ二代目が現れた時に、厳しい言葉で批判される。
しかしゴッドがかつて見た永遠はそうしたものではなかったのだろう。彼が見ていたのはそんな永遠の向こう側にある景色だ。
だから再び少年ハリウッドを結成するために、彼は戻ってきた。「少年ハリウッドに舞い降りた神」であるゴッドとして。
ゴッドが自分にとっての永遠の象徴を、結成するアイドルユニットの名前を選んだのは永遠へ挑まんとする彼の覚悟なのかもしれない。

一期から引き続いてやや煽り気味の観客席から「見上げる」ようなアングルで「ライブを見ている観客」を演出していたり、ホワイトアウトを上手く使う事で「五人の輝き」を表現していたりと細やかな演出が物語を引き締める良いスパイスとなっているが、二期では一期から空いた三ヶ月の時間や一期OPの挿入歌ですら彼らの物語を身近に感じさせる仕掛けとして利用されており見事というしか無い。
彼らの物語は再び走りだした。ならば一ファンとしてはそんな彼らの姿を見届けるしか無い。
彼らが限りある時の中で見た限りない夢の行く末、そして鳴り響く祝福の鐘が彼らに降り注ぐ瞬間を心待ちにしている。


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