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『プリパラ』のドロシーの描写に見る主観での美少女表現について

『プリパラ』40話視聴。39話を「第二期シリーズでは何をやるか」ということを描いた全体の導入とも言える話だとするなら、40話は新キャラであるあろまやみかん、そのマネージャーのネコについてを丁寧に描いた導入編第二弾とも言える話だったように思う。
『劇場版プリパラ』のエピローグではみかんとあろまは対等な立場であるように描かれていたけど、立場こそ対等だけどあろまの方が能動的で、みかんの方が受動的だ。またみかんやあろまについても「天使」や「悪魔」の要素が先に出てくるけど中心にあるのは「アイドル」で、「ドリームパレード」を目的として関わってくることで、一期から続投されたキャラと関係性にいい化学反応が生まれているんじゃないかな。
またライブパートではみかんとあろまが互いに対になるような振付や演出が心がけられている点も面白い。みかんがソロで歌っている時にはあろまがその歌詞の補完を、あろまが歌っている時にはみかんがあろまの歌詞の補完をする振付になっているし、二人が同時に画面に入るように描写されている。
「天国」「地獄」とキャッチフレーズも違うんで、それを意識した相反する振付が見られるのも面白いかな。こういう描写があることで「互いが互いの相反する魅力を引き出し合う」というあろま&みかんのらしさが出ると思うので、凄くよかったと思う。
しかしそふぃとあろまは同じブランドを好んでいるんだけど、あろまとそふぃとでは中心にあるコンセプトが大きく違う辺りは凄くいいと思う。あろまの方は「悪魔」というところが根っこにあると思うし、そふぃの方はゴスロリ路線だよなぁ。ベイビーモンスターじゃなかったのは面白いけどさ。



フィクションにおける「美少女」の表現というものはとても難しい。
なぜなら直感的に「このキャラクターは美少女である」というものをユーザーに理解させなければならないからだ。単に「この人は可愛い」と作中の人物に言わせるだけではなく、そのキャラクター本人を見た時に「なるほど。確かにこの子は可愛い」とユーザーに思わせなければならない、と考えると、それがどれだけ難しい事であるかが分かるはずだ。
もちろんそんな難しい事を出来ている作品がないわけではない。
例えば現在放送中の『アイカツ!』などがそうだ。「ステージに咲く氷の花」という通称を持つ氷上スミレのキャラクター表現は、一目見ただけで彼女が美少女であることを理解させる演出が心がけられている。
101話で初登場したシーンではこのようにエフェクトが入っていて、直感的に彼女が美少女であることがよく分かる演出になっているし。

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このように一つ一つの仕草で品があるように心がけられている。
『アイカツ!』のキャラクターデザインを手がけるやぐちひろこは氷上スミレについて「可愛くなかったらダメっていう。残念な顔もしてはいけない子です」とコメントしているが、氷上スミレの描写からはスタッフ一同で細心の注意を払って演出されていることがよく分かるはずだ。
個人的に氷上スミレのベスト描写は122話で吸血鬼と化したスミレジェラードだが、あの蠱惑的な表情は彼女の品のある美人描写の積み重ねがあったからこそ魅力的だったように思う。

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さて、『アイカツ!』の氷上スミレのような表現技法は一言で言えば「客観的に美少女に見える」というものだ。そんな「客観的に美少女に見える表現技法」を応用すると、主観ショットの中で用いる事で「そのキャラクターの主観では美少女に見える」という表現が可能になる。これもまた「美少女を表現する技法の一つ」なのだ。
この「このキャラクターの主観では美少女に見える」という表現の一例としては『プリパラ』のドロシー・ウェストの描写が非常に分かりやすい。

普段のドロシーは氷上スミレのような演出がされているわけではなく、他の女の子と比べても特に秀でた美少女であるようには見えない。

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しかし斜に構えて馬鹿にする男キャラに詰め寄るシーンの男キャラの主観を描いたカットでは、このような表現になっているのだ。上記のカットと見比べてみるとかなり違うことが分かるだろう。
例えば上睫毛が細かく描かれているし、分かりづらいが下睫までしっかりと描かれている。また薄いピンク色で下唇まで表現されていたりと、情報量そのものが普段と比べて相当数追加されていることがよく分かる。またこのカット全体で透明感を感じさせるように演出されている点も面白い。

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これらの表現自体は「美人の表現技法」でありドロシーを美少女に見せる演出なのだが、このカットは前述したようにドロシーをバカにしていた男キャラが見ている光景として描かれたものだ。その事を念頭に入れてみると、このドロシーの美少女演出こうは読み解けないだろうか。
「視点となった男キャラには今ドロシーがとてつもない美少女に見えている」と。
その仮説を補強するのがこの二つ後のカットだ。

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このカットで面白いのはドロシーの周囲にエフェクトが入っている事と、ドロシーの背後にいるモブキャラクターの扱いが本当にどうでもいい存在のように描かれていることだ。前後の流れから画面左にいる男キャラの視点で描かれたカットである事を考えると、「今彼にとってドロシー以外の存在がどうでもよく見えてしまうほどに、ドロシーに注目している」と読み解ける。またキラキラと輝いたエフェクトがドロシーを中心に散りばめられている事を考えると、この時ドロシーが「他の存在がどうでも良くなるほどに美少女に見えている」とも読み解け、「今までバカにしていた言葉を撤回するほどに夢中になってしまっている」という形でドロシーの可愛さは表現されているのである。

このように「美少女に見せる表現技法」は、応用すれば「そのキャラクターの主観では美少女に見える」ということを演出する事もできるのだ。そしてその主観での美少女表現も、工夫一つで「他のキャラクターよりも可愛い」ということを間接的に理解させる表現へと変化をさせる事が出来る。
「ドロシー以外がどうでもよく見えている」などはそんな「間接的な美少女の表現」の一つだといえ、これらの表現があるからこそドロシー自身が「自分は可愛い」と主張しても、嫌味ではなく単なる事実を述べているように見えるのだろう。

これは余談だが、ドロシーの双子の弟であるレオナに視点を向けてみると、ドロシーとは違った形で可愛さが表現されている。レオナの自己紹介を聞いたパプリカ学園の生徒達が「性別などどうでもいい」と言わんばかりの反応を返しているが、これは「可愛さの前に性別など関係ない」と言う形でレオナの可愛さを表現していると言えるだろう。
子供の反応の違いでもドロシーとレオナの可愛さの違いを表現している辺りは芸が細かいところだ。

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今回は『プリパラ』のドロシーの話が中心になったが、「美少女に見せる表現」というものは様々なものがある。直接的にせよ間接的にせよ、誰かを美少女に見せる表現が確立される事でキャラクターの表現の幅はより広がっていくように思う。
ドロシーやレオナのように「どういう可愛さか」によって表現技法が変わってくるとまた面白いかもしれない。


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