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一番の未来とスターの使命――ディアマイフューチャーの描いた未来

プリキュアの新EDについて。『フレッシュ』からEDでは3DCGが導入され、その高いクオリティでファンを魅了しているのだが、そのEDにおける3DCGの歴史には二つの側面があると思っている。一つは「揺れものとの戦いの歴史」と言うモーションの歴史で、もう一つはセルルック、つまり「手描きアニメにどれだけ近づけられるか」という3Dモデルそのもの歴史だ。
詳細な歴史は省くが、前者のモーションについてはPerfumeなどでも振付を担当しているMIKIKO氏の参加が一つの転換点となっているように思う。キャラクターの個性と歌詞の世界観を拡張させるアイドルダンスは、キャラクターごとの個性に厚みのあるプリキュアと見事に合致しており、『プリキュア』と言うシリーズに新たな風を吹き込む事に成功した。『ドキドキ』以降においてはステージ演出と合わさった新たな世界を作り出しており、とりわけ『ハピネスチャージ』の後期EDにおいては一人だけ違うモーションを採用することによる掛け合いの面白さを開拓した点は地味ながらも大事なところだ。こういうやり方があったのだと唸らされたぐらいである。
後者についても幾つかの転換点があったのだが、今回の『Go!プリンセス』の後期EDはそんなレンダリングの歴史の中でもかなり重要な位置にあるものだろう。前述したように今までのプリキュアは「手描きアニメに近づける」という事が一つの方向性としてあって、非常に美麗かつリッチなモデルになっていたのだが、今回のEDは設計思想そのものが根本的に違うように思う。というのも、今回のモデルは非常に肉感的なものになっているからだ。
おそらく「アニメキャラクター」として捉えるのではなく「一人の人間」として捉え直した結果がああいうものに繋がったのだろう。非常に肉感的で凄くいいのだが、個人的に重要なのは「ただ肉感的で人間っぽい」というだけでなく、その新要素と従来からの要素が上手く調和させられている点だ。一歩間違えばクリーチャーと化してしまうおそれがある中で、よくこれだけのものを作り上げてきたなぁ、と感心する次第である。正直東映の3DCGチームの実力を認めなおさなければならない。前期の腕と脚が細すぎるモデルから変わりすぎだ。
今回の方向性が一回限りで終わるかどうかは分からないが、何にしても歴史の転換点を見ているような気分で大変興奮する。ああ、今後の進化もまた楽しみである。



以下のテキストは2014年のコミックマーケット86で頒布した『プリズムアライブ』に掲載した『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』の作品論です。
10月に取り上げている『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』BD-BOX化決定の記念と夏コミで頒布するプリパラ一周年記念本『パーフェクトスマイル』も兼ねて掲載します。
なお『パーフェクトスマイル』の詳細については以下の記事に書いてますので、よろしくお願いします。

■2015年夏コミ新刊のプリパラ本『パーフェクトスマイル』についてのおしらせ

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「未来の私がいっちばーん!」

そんな何とも力強い言葉をキャッチフレーズとして与えられた作品、それが『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』だ。
『プリティーリズム・オーロラドリーム』のヒットを受けて製作され、『プリティーリズム』シリーズ第二作となる本作は『オーロラドリーム』から三年後の世界を舞台にしている。 
そのためなのか、スタッフ面では『オーロラドリーム』に参加していたスタッフはほぼそのまま続投となっており、前作でも監督を努め、そして次作でも監督を務める事となる菱田正和が本作も監督を努め、『オーロラドリーム』でもシリーズ構成として参加していた赤尾でこが引き続いてシリーズ構成を、音響監督を務めた長崎行男、そして『オーロラドリーム』ではプリズムショー演出を担当していた京極尚彦も『オーロラドリーム』から引き続いてプリズムショー演出を担当。
また『オーロラドリーム』でも一部脚本に関わっていた坪田文は、本作ではシリーズ構成補佐として本作全体の脚本にも関わっている。
余談であるが、本作は坪田文が主導し製作されていったものも多く、グレイトフルシンフォニアは演劇出身の坪田文の参加により演劇要素が加わったと監督により語られている。

前作で『オーロラドリーム』で春音あいらがオーロラライジング・ドリームを飛び、プリズムクイーンとなってから三年後。MARsのプリズムショーに上葉みあが乱入し、「あいらを倒す!」と宣言したところから物語は幕を開けるのだが、この上葉みあは今作から登場した新キャラではない。
彼女と今作の主役達であるPrizmmy☆の四人は『オーロラドリーム』のプリズムクイーンカップにて、春音あいらがクイーンに輝いた瞬間を見ていた観客の一人として登場している。いわば彼女たちは時間経過と続編としての連続性を与えられている存在なのだ。
また前作の主人公達であるMARsの三人も新主人公達に出番を譲るというわけではなく、先輩として彼女達を導いていく他、春音あいらとショウの恋愛模様にディアクラウンのデザイナー・ユンスを交えた三角関係が展開されるなど、本作では前作との繋がりを強く感じさせるような物語展開を見せる。
前作『オーロラドリーム』は主人公三人の声優を務めた阿澄佳奈、原紗友里、片岡あづさ(現:榎あづさ)によるユニット、LISP(二〇一一年に解散。本作ではLISPではなく劇中ユニットであるMARsとして「Que sera」を歌っている)の販促的側面を持っていたが、本作『ディアマイフューチャー』でも主人公ユニットのPrizmmy☆、そしてライバルユニットのPURETTYは同名のアイドルユニットをモデルにしており、キャラクター名もそれぞれのモデルとなったユニットの各メンバーから名付けられている。
そうした点から前作以上に販促的要素は強められているといえるが、それぞれのユニットはあくまでモデル程度の位置づけで、各キャラクターの声優はあくまで本職の声優が務めており、作劇面ではさほど強い影響は存在していない。
しかし本作で用いられた楽曲の大半は彼女達が歌っており、それらがプリズムショーでも用いられた事から、彼女達が本作を彩る華の一つであったことは間違いないだろう。

■未来を求める物語

そんな『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』を一言で表すことは難しい。
なぜなら前作『オーロラドリーム』が様々な物語を内包していた作品であったように、本作も様々な物語を内包しているからだ。
前作から引き継いだショウと春音あいらの恋愛模様はショウのライバルであるユンスの登場により三角関係として再構築されているし、春音あいらの弟である春音いつきはPrizmmy☆と、そしてパートナーであるヨンファとの出会いによってスポーツドクターになりたいという夢と向き合う事となる。
物語に中心にいるPrizmmy☆やPURETTYにしても最終的にはグレイトフルシンフォニアへと収束されるとはいえ、「オーロラライジング」という伝説の技とそのオーロラライジングに向き合う三人のプリズムスター達の物語だった『オーロラドリーム』と比べてみると「シンフォニアシリーズ」と呼ばれる伝説のコーデの争奪戦が物語の主軸になっているものの、物語には必ずしもシンフォニアシリーズが絡んでいるわけではなかった。
むしろシンフォニアシリーズに絡まないような物語が多い。
そんな多種多様な物語が同時並行的展開こそが『ディアマイフューチャー』が『ディアマイフューチャー』である所以なのだろう。
そんな多種多様な物語の同時並行的展開を特徴とする『ディアマイフューチャー』だが、それでも物語として一貫したものを持っているように感じられるのは「夢に見た未来に向かって仲間と共に頑張る少女達の成長を描いた物語」という物語軸は最初から最後まで貫かれていたからだろう。

『ディアマイフューチャー』は大きく分けて「Prizmmy☆結成編」「PURETTY編」「シャッフルユニット編」「ロードトゥシンフォニア編」「グレイトフルシンフォニア編」という五編によって構成されているのだが、「Prizmmy☆結成編」では「春音あいらを倒す」と宣言し、MARsのステージに乱入してきた上葉みあ。そんな彼女に振り回される形で結成することになったPrizmmy☆の姿が描かれた。
物語開始当初は上葉みあのその猪突猛進さや傍若無人さに対して後にユニットを組む事になる仲間達からも「ついていけない」と言われるなどされていたのだが、Prizmmy☆のみあ以外の三人が変わっていけたのは上葉みあが自分達が得意とするものをそのまま信じてくれたこと、そして背中を押して最初の一歩を踏み出させてくれたからこそだ。
れいな、かりん、あやみ。
彼女達三人はいずれも「引っ込み思案」という共通項が持たされている。プリズムメイツになったものの、自分達のステージを作り上げる事、そして挑戦していくことに対しては最初の一歩が踏み出せないでいた。しかし上葉みあと関わることで彼女達は自分が踏み出せない一歩をみあを、そして仲間達を信じることで自分達らしい一歩を踏み出し変わっていく。
だからこそ面白いのはPrizmmy☆がデビューする時に「自分を認める自分」ではなく、「自分を信じてくれている仲間の存在」なのだ。「人気があればデビューさせる」という条件を与えられながらも彼女達は最後まで自分自身に入れる事に躊躇する中、上葉みあ一人だけが「自分と共に目標に向かって頑張る仲間」に投票する。
その投票によって初めて何度と無く発言してきた「仲間」という言葉が「本心からのもの」であるということが理解できる。だからこそPrizmmy☆はあの瞬間に結束するし、そんな彼女達の「仲間を讃え合っている姿」がそれを見ていた観客達に「応援したい」と言う心を芽生えさせていく。
そしてこの時確かめ合った四人の絆が、そして上葉みあに引っ張られる側だった三人の成長が描かれたのが一〇話「みあ脱退!? あいらとガチバトル」だろう。
この話では春音あいらと喧嘩し、所属する芸能事務所・プリティートップを脱退するためにみあとあいらの対決が行われるのだが、「春音あいらに勝つ」ということに執着するばかりにみあはプリズムジャンプに失敗し、ステージに叩きつけられてしまう。しかしそんな時に手を差し伸べてくれたのは三人だった。
「仮にあいらに勝ってみあがプリティートップを脱退するとしても、自分達はみあについていく」と語る三人のみあに対する信頼を胸に立ち上がったみあがあるからこそ、一二話において四人でアクトラインをくぐり抜け、ハートの革命=プリズムアクトを発動させる流れが生きる。
このプリズムアクトの美しいところはあくまで四人だからこそ出来た技として扱われていることで、彼女達の結束と成長のシンボルとしての意味が生じている事だ。
上葉みあ一人に引っ張られているかのように描かれてきたPrizmmy☆だが、上葉みあの勝負どころに協力し、彼女が失敗した時に手を差し伸べる。それにより彼女達は「上葉みあに引っ張られるだけの存在」から上葉みあと「対等な仲間」になったのだ。
その結果がプリズムアクト・ミラクルアイドル Wake Up!で、今まで何度と無く描かれ、そして通り抜けられなかったアクトラインは一人ではなく四人が思いを一つにすることで初めて通り抜けられる。
あのプリズムアクトは互いが互いを信じ、目的を同じとするPrizmmy☆の四人だからこそ生み出せるプリズムアクトなのだ。
また序盤といってもいいこの段階で既に本作における大事な「親友でライバル」と言う関係性とそれぞれが持つ一番(=個性)を尊重するように描かれているのだが、ヘイン達が本格的に物語に加わり始めた二クール目以降ではヘインとみあのように、Prizmmy☆とPURETTY同士が交流し、絆を深めていくエピソードが展開されているが、同時に「周りが個性的だからこそ自分には個性や才能がないのではないか」という苦しみも描かれている。
ここで大事な事は「努力しても勝ち取れないもの」として「個性」や「才能」が描かれている点だ。
前作の『オーロラドリーム』では「才能のない者」については「それでも努力するしかない」という描かれ方をしていたのだが、本作ではそういう描き方をしていない。
「努力だけは誰でも出来る」と言う言葉を前提にした上で「上を目指すために必要な才能」という問題を描いている。
その「壁を突き破るための才能」という問題が「仲間達が成長していく中で自分は変わっていないのではないか」というヘインの焦りを生み出していく。
「努力しているじゃない」と言う言葉は慰めの言葉にすらならないからこそ、ヘインの「自分の個性はないのではないか」と自分を客観視して悪い方向へと進み始めてしまう姿には苦しみと嘆きを生むのだ。
そうしたヘインの苦しみを救い上げてくれたのはみあ、そしてPURETTYの仲間達の言葉だった。
ここで大事なことはPURETTYも上葉みあも「努力だけは誰でも出来る」と言うことを踏まえた上で「努力し続けられること」と「周囲をちゃんと見ている事」、それこそがヘインの個性だとしていることだ。
日本に留学してくる前のヘインは周囲から突出しているからこそ、周囲に合わせようと努力してきた。だがそれはある意味では正しいが、ある意味では間違っているのだ。
確かにヘインはジャンプにしても技術にしてもPURETTYの中では突出したものを持っている。しかしユニットとして見た場合、ヘイン一人がどうしても浮いてしまう。
だからPURETTYが所属するディアプリンセスのミシル社長はヘインに「周囲をよく見ること」を意識させていたのだが、「周囲をよく見ること」と「自分と周囲を比較すること」はそもそも全く違うことだ。
周囲を誰よりも見てしまうヘインだからこそ、そんなヘインを助けようとするPURETTY達の「自分を抑えないでいい」と言う言葉が美しい。
周囲を見すぎて自分に対してブレーキを踏んでしまうヘインだからこそ、周囲の人間の存在が彼女を強く輝かせる展開へと繋がっていく。
その輝きが生み出したものがヘイン一人で行うプリズムアクト・ナイトフラワーフィーバーなのだ。
周囲をよく見て、努力し続けられるヘインを信じる仲間達。そんな仲間達の思いを背負っているからこそ、ヘインが一人で行うプリズムアクトはヘイン個人が出す新技ではなくPURETTYの象徴とも言えるプリズムアクト、ナイトフラワーフィーバーなのだ。
全員の思いが一つだからこそヘイン一人で行ってもプリズムアクトはPURETTYの技から外れない=PURETTYの仲間達あってのプリズムアクトなのである。


■異なる自分と新たな仲間との出会い

Prizmmy☆とPURETTY。
この二つのユニットがプリズムスターとして成長していく中で、共に同じ目的に向かって助け合える仲間であることは二クール目までで丁寧に描かれてきたわけなのだが、この両者は同時にシンフォニアシリーズの争奪戦においては仲間であるとともにライバルだった。
そんな両者の「友達でライバル」という二つの側面を持つこの両者の関係性に対して一歩踏み込んだのがシャッフルユニット編だった。
このシャッフルユニット編では三人一組でしか参加できないロードトゥシンフォニアに出場するために、Prizmmy☆とPURETTYの二つのユニットを一度解体して一組三人、合計三つのユニットを結成するのだが、このシャッフルユニット編において興味深い事はあえてPrizmmy☆とPURETTYを一度解体して三人一組のユニットを結成し、ライバルと同じユニットになるということによって「仲間だからこそ相手のことをより深く知ることが出来る」と言う物語になっているということだ。
シャッフルユニット編では一度元のユニットから離れて新たなユニットを結成し、ユニット名や楽曲、衣装に至るまでそれぞれのプリズムスター達に委ねられている。
そのためこのシャッフルユニット編の序盤では「自分達の楽曲の製作」や「ユニット名」などを自分達で決めていくところから始まるのだが、そもそもユニット名や楽曲制作というのは「ユニットごとのコンセプトを決定していく」というところにまで踏み込ませる。
この「ユニットとしてのコンセプトの決定」は同じ女児向けアニメの『アイカツ!』のユニット結成編においても描かれていたもので、星宮いちご・霧矢あおい・紫吹蘭によって結成されたソレイユ「ストロベリーパフェのような存在」というコンセプトとしていた。
またユニット名もフランス語で太陽を意味する「ソレイユ」なのも彼女達が太陽のように見ている人達を明るくするような存在になることを志しているからだろう。
『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』のシャッフルユニット編も基本的には『アイカツ!』と同じ流れを踏まえており、それぞれのユニットは各自で悩みながら「自分達らしさ」をユニットの形へと昇華していく。
その「自分達らしさ=ユニットの個性の構築」において『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』と『アイカツ!』とでは大きくその意味合いは異なる。
なぜなら『アイカツ!』は元々一人で活動していたアイドル達がユニットを結成したのに対して、本作の少女達は元々別々のユニットで活動している。
ロードトゥシンフォニアという大会に出るために必要性があってユニットを結成しただけなのだ。
『アイカツ!』とのこの違いは作劇においても「異なるユニット同士に所属していた者同士が一時的とはいえ仲間になる事で、相手の違った一面が見えてくる」という形で大きな影響を与えている。
Prizmmy☆とPURETTYは共に同じ目的に向かって頑張る仲間だ。しかし同時にライバルでもあった。
その「友達であり仲間であるがライバルでもある」という関係性があることとユニットとしての意識がある事で、両グループは仲良くしていても「ライバルがどのような事を考えていて、どういう人間なのか」ということを見えにくくさせていた。
しかしロードトゥシンフォニアに出場するためとはいえ、ユニットの枠組みを飛び越えたユニットが結成させることで今までの仲間がライバルに、今までの仲間がライバルになり、「ライバルだった頃には気づけなかった相手の良さ」といった「今まで見えてこなかった個性」が見えてくる。
その「今まで見えてこなかった個性」は活動を通じて知っていく事がそれぞれのユニットの結束を強め、「そのユニットらしさ」と言う形で楽曲の作詞や衣装と言う形で昇華されていく。
その結束によって生まれる「ユニットらしさ」は作詞や衣装以外にもプリズムアクトと言う形で現れていくのだが、シャッフルユニットを結成したことで「自分達らしさの再発見」と「相手の良さを知る事による仲間意識」があったからこそ、この後に控えるスカイハイシンフォニア編での描写が意味として生きてくる。
スカイハイシンフォニア編では阿世知欽太郎の謀略によってシンフォニアシリーズに心を奪われた春音あいらとMARsを取り戻すべく、プリティートップのプリズムスター達がMARsに、そしてシンフォニアシリーズを作り出したデザイナーである阿世知欽太郎に戦いを挑む物語が展開される。
あいら達のライバルを自称する城之内セレナ・藤堂かのん・天宮かなめの三人、春音あいらの実弟である春音いつきとディアプリンセスのプリズムスター、ヨンファ達は明日への扉に辿り着くものの、扉の向こう側に至ることが出来ずにことが出来ずに敗れ、シンフォニア財団へと移籍させられてしまう。
そしてPrizmmy☆は、春音あいらを取り戻すという目的のもとで手を結んだショウとユンスによってリメイクされたシンフォニアシリーズを手にし、ロードトゥシンフォニアを飛ぶのだが、シンフォニアシリーズが見せるその先を望むあいらによって彼女達もまた春音あいらを連れ戻すことが出来ずに敗れてしまうのだが、ここで面白いのは上葉みあがヘインとPURETTYに後を託す展開だ。
上葉みあといえば登場からずっと一番を目指し、誰よりも勝者となることを望んできた人間だった。その事は何度と無く描かれてきたことであるし、彼女の口癖が「みあがいっちばーん!」だった事からも明らかだ。
そんなみあがヘインとPURETTYに後を託すということには「PURETTYならば春音あいらをシンフォニアシリーズが持つ阿世知欽太郎の妄執から解き放つことが出来る」という確信があるからだろう。
この信頼関係が生まれたのはPURETTYと共に活動してきたというだけではない。
シャッフルユニットを通じて彼女達の能力を、そして個性を近くで見てきたからこそ「ヘイン」ではなく「PURETTY」ならば出来るはずだと春音あいらを阿世知欽太郎の妄執から解き放つためのヒントを残すのだ。
そんな上葉みあの「自分が勝つ」ではなく「誰かに託す」という事で繋げられた思いがあるからこそ、PURETTYを勝利へと導く流れが美しい。
「自分ではなく誰かのために」は一番だけを目指していた頃の彼女ではあり得ないことだ。
だからこそそこには上葉みあの成長があり、そしてそこには相手に対する絶対の信頼があるからこそ生まれた思いなのだ。

その仲間との強い絆は阿世知欽太郎によってプリズムショー業界への信頼を失い、周囲から偽物呼ばわりされてもなお存在する確かなものだ。
ここに至れたのは彼女達が一人だったからではない。同じ目的のために仲間と競い争い、手を取り合ってきたからこそここに辿り着くことが出来たのだから。だからこそプリズムショーの存在そのものが否定された時に彼女達はプリズムショーを信頼し、その力を信じて、そして観客達も理解してくれると信じてプリズムショーを行う。
彼女達にとってプリズムショーは仲間との絆の象徴とも言える存在だ。
その事は「私達が飛んだジャンプもアクトも、絶対に絶対に嘘じゃない! プリズムショーは、私達の青春なんだ!!」という台詞からも溢れている。
プリズムショーがあったから出会えた仲間や経験が本物だからこそ、そんな「プリズムショーをもう一度見てもらいたい」という強い想いを胸に自分達に出来る最高のパフォーマンスを届けようと努力する姿が観客達の心を動かしていく。
そして彼女達の偽りであっても憧れて歩んできたその道は、プリズムショーの魅力を信じる心は、阿世知欽太郎に踊らされ、プリズムショーへの信頼を失墜させる片棒をかついでしまった阿世知今日子に最後の仕事としてプリズムショーの信頼回復を決意させる展開に繋がっていく。

■グレイトフルシンフォニアとはなんだったのか

阿世知欽太郎に踊らされ、プリズムショーそのものの地位を失墜させる展開を招いてしまった阿世知今日子。
そんな阿世知今日子が最後の仕事としてプリズムショーの信頼を回復するために行ったものが究極のエンターテイメントであるグレイトフルシンフォニアだ。
本作のクライマックスを飾るグレイトフルシンフォニアは大勢のプリズムスター達によって行われる演劇とプリズムショーを融合させたプリズムアクトで、今までのプリズムショーとは異なり物語となっている。
プリティートップの全てのプリズムスター達の中から選ばれた上葉みあとヘインをセンター=主役に、全世界に向けたプリズムショーとして幕を開けたグレイトフルシンフォニアは「私達は旅人。世界を巡る旅をする乙女。目的地はまだ分からないけれど、私達は知りたい。私達が生きる世界のことを! 私達が辿り着く未来のことを!」という導入の台詞通り、上葉みあとヘインは「明日を探して旅する少女」として様々な世界を巡りながら成長していく姿が描かれる。
恋愛や幸福、人と分かり合う事を演劇的に描きながら成長していく上葉みあとヘインであったが、そんなグレイトフルシンフォニアが最後に彼女達に突きつけたものは阿世知欽太郎の孤独と絶望、そして「一人の勝者と無数の敗者が存在」という競争原理が生み出すこの世界の残酷な真実だった。
阿世知欽太郎は「お前がいっちばーんになるために蹴落としてきた仲間達だ。愚か者めが。誰がナンバーワンになるか。そんなものに囚われるから人は憎しみ合い、悲しみを生むのだ」「これが真実だ! いくら手を繋ぎ、共に歩もうとしたところで。人は生まれてから死ぬまで一人。自分が信じる理想をいくら語ったとて、夢物語と笑われ! そして信念を貫けば貫くほど変わり者と後ろ指を指されるのだ!」と主張し、上葉みあやヘインだけでなくグレイトフルシンフォニアの世界を絶望と憎悪に包み込んでしまう。
この阿世知欽太郎の言葉は、阿世知欽太郎自身が究極のエンターテイメントの完成を目指して活動していく中で彼が実際に経験し、理解した「競い争う」ということの真実を述べているに過ぎない。
誰かが一番になるということは誰かが負けて夢に敗れるということだし、仲間と共に歩もうとしたところで勝者と敗者を決定する事は仲間の中で明確な優劣を生み出していく。
そして理想を叶えるために勝者となっても、勝者が掲げた理想を誰も理解してくれないどころか、その理想に向かって頑張り、勝者となろうとする姿はいつだって馬鹿にされてしまう。
勝者は阿世知欽太郎の言うとおり、いつだって孤独だ。同じ目的のために頑張る仲間が出来たとしても、その絆は永遠ではない。生きている限り必ず別れはやってくるし、求めるものが一人にしか与えられないのなら必ず勝者と敗者が生まれて一人になってしまう。
また敗れ去った者には勝者に対する憎悪や負けた自分への悔しさがあって当然で、だからこそ勝者と敗者の存在は仲間であっても明確な優劣=孤独な勝者を生み出してしまう。
上葉みあがその事を知っているからこそ阿世知欽太郎が語る真実に対して何も言わない。
自分達が勝者になったからこそ傷ついていくPrizmmy☆の三人を間近で見ていたからこそ、阿世知欽太郎の語る「自分が一番を目指すことで犠牲になっていく存在」をよく理解している。だからこそ阿世知欽太郎の存在を否定する言葉は言えないのだ。
しかしだからこそ「私たちはプリズムスターだ! 皆が進む道は明るいって、未来は美しく輝いてるって、私たちが言わなきゃ誰が言うんだ!」という上葉みあの叫びが尊い。
阿世知欽太郎の言うことは間違いなく真実だ。
人は生まれてから死ぬまで孤独だし、競い争うことは敗者の犠牲のもとに成り立っていて、その敗者は必ずしも勝者を称えるとは限らない。
夢見て突き進んだところでその夢が叶うとは限らないし、裏切ることだってある。未来は明るく輝いているわけではない。現実はいつだってそうした残酷な構図と真実で成り立っている。
グレイトフルシンフォニアで阿世知欽太郎が観客達に見せようとした姿は、そうした世界の残酷な真実と構図だ。大人である阿世知欽太郎が経験したそれを子供である上葉みあやヘインには否定できるはずもない。
だが、それを深く理解しているからこそ上葉みあは「私達が言わなきゃ誰が言うんだ!」と叫ぶのだ。
阿世知欽太郎の語る「世界の残酷な真実」が紛れも無く真実だからこそ、「皆が進む道は明るく、未来は美しく輝いている」という綺麗事を真実だと信じて強く叫んでいる。
なぜ彼女はそこまでして綺麗事を叫ぶのだろうか。
それはそうした綺麗事がなければ残酷な現実に打ちのめされるしか無いからだ。
誰もが残酷な現実を受け入れられるわけがないし、多くの人間はそんな残酷な現実に耐えられるわけがない。そんな現実ばかりでは今を生きることが出来ない。だからこそ「皆の進む道は明るい」「未来は美しく輝いている」という「綺麗事」
は例え嘘であっても「今を生きる希望」として誰かが叫ばなければならないのだ。
上葉みあはそれこそがプリズムスターの使命であると理解している。「綺麗事」と一言で否定されてしまうものであることを誰よりも深く理解している。
しかしだからこそ彼女は叫び続ける。
阿世知欽太郎に、そしてグレイトフルシンフォニアを見ている「未来を生きようとする全ての人々」に向けて、彼女は全力で「綺麗事」と言う偽りの希望を叫ぶのである。
それこそがきっとプリズムスターのであると信じて。
そんなスターの使命を理解したからこそ、上葉みあが阿世知欽太郎にいう言葉は「私達はプリズムスターだ!」「私達が言わなきゃ誰が言うんだ!」なのだ。
またそんな使命を理解した上葉みあがヘインに語った「私、やっと分かったよ。私がどんな一番になりたいのか。私は皆を未来に連れて行く。嬉しい気持ちも楽しい気持ちも悲しみも、全部背負って皆を未来に連れて行く。これが私のいっちばーんだ!」と言う言葉は、阿世知欽太郎のような残酷な現実や構図に打ちのめされた人間すらも連れて行こうとする決意の表明だ。
そうした全てを連れて行こうとする決意とスター使命を果たそうとする必死の想いは阿世知欽太郎がグレイトフルシンフォニアに込めた世界を呪う虚無の心を浄化し、二人の少女達と無数のプリズムスター達が未だ誰も見たことがない、美しい未来の結末を描いていく。
プリズムアクト・ディアマイフューチャーとは誰もが相手のことを思いやり、自分の一番を目指して頑張る姿が生み出す奇跡だ。
そして「プリズムスターの笑顔で皆が微笑みあえる未来」を志しながらも敗れた阿世知欽太郎の元にもまた「未来」はやってくるのだ。なぜなら明るい未来は「過去を積み重ね、今を必死に生きた者」にこそ訪れるものなのだから。

■大人の虚無

さて本作でグレイトフルシンフォニアの完成を目指して全ての事件を裏で操っていた阿世知欽太郎。
一話からプリティートップ所属のドン・ボンビーとして登場し、プリズムクイーンシリーズよりも注目度の低いシンフォニアセレクションへの参加を阿世知今日子に進言をしていたり、Prizmmy☆やPURETTYの成長を陰ながら促していたりと「グレイトフルシンフォニア」の完成のために尽力している姿が描かれた。
その姿はロードトゥシンフォニア編で正体を明かした後も、そしてプリズムショーが全て金で仕組まれたエンターテイメントであることを公表してもなお変わらなかったのだが、そんな彼がグレイトフルシンフォニアで見せたかったものとは何なのだろうか。
彼がグレイトフルシンフォニアで描きたかったものとは。
それは誰もが笑い合えるエンターテイメントを追い求めていた自分を認めようともせずに馬鹿にした全ての人間への復讐だろう。
そもそも阿世知欽太郎がグレイトフルシンフォニアで描きたかったものとは誰もが笑い合えるエンターテイメントの実現だった。そのために阿世知欽太郎が考案したものこそがプリズムアクトであり、そんなプリズムアクトの究極系であるグレイトフルシンフォニアだ。
しかし彼のその理想を夢見て我武者羅に突き進む姿勢とプリズムアクトはプリズムジャンプ至上主義だったプリズムショー業界からは支持されること無く埋没していき、そしてプリズムアクトとグレイトフルシンフォニアのことしか考えない姿勢は彼の傍から恋人を、そして家族を離れさせていった。
そして家族を失ったからこそより一層プリズムアクトの復権とグレイトフルシンフォニアの実現のために全てを注ぎ込んでも、彼のその夢は支持者を集められずに頓挫してしまっているのである。
その事が端的に表されたのが「これが真実だ! いくら手を繋ぎ、共に歩もうとしたところで。人は生まれてから死ぬまで一人。自分が信じる理想をいくら語ったとて、夢物語と笑われ! そして信念を貫けば貫くほど変わり者と後ろ指を指されるのだ!」と言う台詞だろう。
この台詞には阿世知欽太郎がプリズムアクトとグレイトフルシンフォニアの完成を夢見て突き進んできた中で味わってきた彼の絶望と孤独、そして虚無が宿っている。
彼はそうした経験をして、淘汰される側だったからこそプリズムショーとエンターテイメントを通してその絶望と孤独を、強者を決めることで踏みにじられる人々の憎悪と孤独を人々に見せつける事でプリズムショーと人々の心の煌きを奪おうとする。
その「未来を夢見ることとそこで生まれる心の煌きを否定する事」こそが阿世知欽太郎がプリズムショーを、グレイトフルシンフォニアで描こうとしたものなのだ。
「未来など! 私はいらない! 時よ止まれ! 永遠にグレイトフルシンフォニアは私だけのもの! 美しい私の思い出……」には家族を失い、夢に裏切られた男の「夢に向かって突き進んでいた美しい過去」に縋るしかない悲しい姿が垣間見えるのは、彼がそういう経験をしてきた存在だからだ。
理想を見ても裏切られ、家族をも失ったからこそ、家族や理想のために突き進んできた時の「美しい過去」に縋り、「夢に裏切られるかもしれない」「孤独になってしまうかもしれない」という不安が存在する未来を拒絶するのである。
だからこそそんな男にすら「未来はやってくる」とし、未来へ連れて行こうとする全てのプリズムスター達の言葉は力強く、未来に絶望した大人の心に救済をもたらすのだ。
阿世知欽太郎の絶望は本作の主人公達が突き進んできた物語の裏側で間違いなく描かれていたものだ。名も無き彼女達の絶望と憎悪、そして孤独は確かにあったはずだ。それは「この空を包んでいるのはお前たちに敗れたプリズムスターの魂だ!」と言う台詞からも見て取れる。
だからこそそんな「絶望と憎悪と孤独を味わった人間」の代表として描かれた阿世知欽太郎の元にすらやってくるプリズムスター達が見せた「未来」がとても美しく、そして彼の心を癒やす力となるのである。
『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』はプリズムスターを目指して頑張る少女達の物語だ。しかし同時に夢に敗れて孤独となった阿世知欽太郎という男の視点で描かれる強者に淘汰されていく側の虚無と孤独、そしてその救済を描いた物語でもあったのだろう。

一人のプリズムスターのその姿に憧れた少女がいた。少女は数年後にプリズムショーの世界へその身一つで飛び込んでいく。そこには喜びも悲しみも悔しさもあった。しかし少女は仲間と出会い、競い争うことの大切さを知り、そして自分が本当になりたかったものに気づく。そんな彼女だからこそ見せられた未来は、未来に絶望した孤独な男の心を癒していく。
『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』を一言で語る事は難しいと冒頭で書いた。
本作は夢に見た未来に向かって仲間と共に頑張る少女達の成長を描いた物語とも。それは本作が一貫して「未来」というまだ見ぬ存在に向かって頑張る姿だけは外さなかったからだが、本作が何より素晴らしいのは「それぞれがそれぞれの一番を目指して頑張ることがきっと未来に繋がっていく」と言うことを尊いメッセージとして込めているからだ。
「別れはいつか必ずやってくる」「勝敗は必ず存在する」というシビアな価値観を踏まえた上で、だからこそ「今を頑張ること」が大事だとする本作は「未来の私」に向けての強いエールになるのだ。
彼女達の未来がどうなっていくかはおそらく彼女達自身すらも知らないだろう。
しかし彼女達が自分の未来に向かって頑張ってきたことだけは間違いない。そしてこれからも彼女達は自分が思い描く未来に向かって今を頑張っていくことだろう。
未来は不安定で現実は残酷だ。だがしかし、そこで立ち止まっていては自分が思い描いた未来はやってこないのだ。
本作の監督である菱田正和と脚本を手がけた赤尾でこ、坪田文が今を必死に生きようとする少女達で描こうとした未来とは、そんなと「未来を信じる事の尊さ」と「今を生きようとすることの大切さ」なのかもしれない。

「皆の未来が! ドッキドキの! ワックワクで! キラッキラに! 輝いてますように!」

上葉みあ達が見せ、「皆」に与えてくれた「未来」。
その尊さと美しさは例え綺麗事であっても、偽物ではないのだから。

 
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