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『ラブライブ!サンシャイン!!』最終話解説

ラブライブ!ファイナルライブのBDが発売された。発売されてしまった。年度末と新年度の最初に精神的な死を与えてくれたあのファイナルライブが何度でも見られるような形で出てしまった。もう死ぬしかない。いやもう死んでいるのだが。何度も。
出会いと別れが表裏一体であるように、万物には始まりと共に終わりがある。永遠に続くステージなど存在しない。
今のアイドルコンテンツの多くは「長く続き、繁栄していく事」に主眼が置かれ、様々な形で世界そのものを更新し続ける事で疑似的な永遠性を確保しているのだが、そんな中で『ラブライブ!』は「どんなことがあっても続けていく」ではない、「一番いいタイミングで終わらせる」という選択肢を選んだ。その選択は正しかったかどうかは後世の人間が判断する事であるが、個人的にはその選択を「英断だった」と思いたいし、そうあってほしいと思っている。なぜならこの円盤に記録されたファイナルライブの光景は心の底から「最高」と思えたものだったのだから。
『ラブライブ!サンシャイン!!』はどうなるのやら。まずは1stライブからかな……。



先日最終回を迎えた『ラブライブ!サンシャイン!!』の最終話が「意味不明」「エピソードを投げっぱなし」という意見を目にした。
筆者はクドいくらいに繰り返してきた「0から1に」という言葉を、これ以上ないぐらいに分かりやすく実際の描写として落とし込んでいたと捉えており、あまりの直球的な描写に驚いたぐらいなので見終わった直後は疑問に思っていた。しかし最終話を改めて見直してみると、引っ掛かりを覚える人がいてもおかしくないように見えた。
なので、簡単にではあるが改めて最終話の解説を書いておく。私見です。

まず最初に「Aqoursは何を目標としてスクールアイドルとして活動しているのか」について確認しておきたい。
『ラブライブ!サンシャイン!!』は主役が九人いて、九人全員に「スクールアイドルを始めるための最初の一歩となるエピソード」が設けられているため、「そもそもAqoursは何を目的として活動しているか」が分かりづらくなっているのだが、それら細かい枝葉を取っ払った彼女達の活動理由(=目標)は「μ'sのように仲間達と一緒に輝きたい」になる。しかしこの目標は漠然としていて具体性がなく何をもって達成とするのかが分からない。そこで本作では東京遠征で苦い経験を彼女達にさせ、「まずは0から1に」という目標が掲げさせた。「廃校阻止」もそれに付随する要素である。
「誰にも届いていない今から、誰か一人にでも届いた未来に」という願いを込めたこの「0から1に」は『ラブライブ!サンシャイン!!』の後半戦の根幹にある要素である。そのことは後半戦においてくどいくらいに繰り返し述べられていることからも明らかだろう。
またこの「この0から1に」は決して「ファンの数の変化」を意味するだけの言葉ではない。「μ'sの後を追いかける事を辞め、自分達の道を歩む」という「フォロワーからの脱却」という意味も込められている。
そのことが意識的に展開されたのが12話で、彼女達はようやく「μ'sのフォロワー」から「μ'sの後の時代を生きるスクールアイドルの一人」として自立を始めたのだ。だから「0(=誰かの真似)から1(オリジナル)に」なのである。

以上のことを踏まえて最終話を見ていくと、様々なところで「0から1に」なっているシーンが散見される。
まず大きな点としては「浦の星女学院の全校生徒がAqoursを全力で応援する体勢になった」という点が挙げられる。
東京遠征の送り迎えや最終話を見ても分かる通り、「廃校阻止」も組み込まれた「0から1に」を目標に頑張ってきたAqoursの熱意は浦の星女学院の生徒にすら全く伝わっていなかった。東京遠征時には駅まで送り出しに来ているが、せいぜい「友達が東京で開催されるスクールアイドルのイベントに招待されたから」程度の反応の描写であったし、それ以降の描写においても「高海千歌達が廃校阻止も含む『0から1に』と言う目標のために頑張っている」というのは全くもって周囲には伝わっていなかった。統廃合は「仕方がないもの」「足掻いてもどうしようもないもの」として共有されていたようだし、その諦観があったから今日まである意味「普通に」暮らしてこれたのだろう。
しかし彼女達は夏休みですら本気で練習に励む千歌達を見て、「頑張れば何とか出来るのでは?」と希望と根拠のない自信を抱く。「仕方がない」「どうしようもない」と諦めていた空気が、千歌達の頑張りによって少しづつ変わり始める予兆を感じさせるこの流れはまさしく「0から1になった瞬間」である。
「誰にも理解されなかった」という苦い経験を胸に、今日まで頑張ってきたからこそ得られた「最高の理解者」。
その獲得は「0から1に」の物語の最後を飾るものとして相応しいものではないだろうか。

Bパートの演劇パートも、浦の星女学院の生徒達のように「Aqoursも沼津も浦の星女学院も、全く知らない人達向けのプレゼンテーション」としては悪くない。何も知らない人達の信頼と応援を勝ち取るのは至難の業であるし、丁寧に説明するためには時間が足りない。そもそも浦の星女学院全員の信頼と応援を勝ち取れたのも、Aqoursが「友達のスクールアイドルユニット」と言えるほど身近な存在だったからだ。
Aqoursはこれまで「外向けへの理解」を求めてこなかったし、やってこなかった。
しかし浦の星女学院の全校生徒の信頼と期待を手に入れて、「ステージに立つ九人以外の想い」を背負うことになったこれからはそういうわけにはいかない。「統廃合の阻止」という希望を形にするためには外向けへのアピールをして、自分達を知ってもらう事から始めなければならないのだ。
ラブライブ!地方予選のステージで、彼女達が舞台演劇の形で「自分達は何者で、何のために活動しているのか」を見せたのはそういう意図があってこそだろう。「入学説明会に参加したい!という人が0人」という事実を変えるために、まずは知ってもらう。興味を持ってもらう。
そのための入り口であり広告塔として自分達、つまり「Aqours」という存在を活かすあのやり方は彼女達に出来る「0を1にするための一手」としてはこれ以上ないものだったように思うのだ。

『ラブライブ!サンシャイン!!』の最終話は内向きの動きだった12話までと違って外向きの動きが中心となっているため、クローズドなドラマ性に惹かれていた者にとっては「期待はずれ」に見えるのかもしれない。しかしながら「入学説明会の参加者0を1にする」「獲得票数0票をせめて1票にする」という中盤以降の目標を考えるのなら、内向きな動きだけでは「目標を達成する光景」を描くことは出来ない。外へ向けての動きが欠けていては目標を達成することが出来ないのである。
そうした意味でも『ラブライブ!サンシャイン!!』は『ラブライブ!』とは全く違う物語を紡げているように思う。
内向きの動きに物語を絞り込んでいた『ラブライブ!』は、「廃校阻止」という目標の達成が唐突に訪れる事で彼女達の物語が始まるが、『ラブライブ!サンシャイン!!』は内向きの動きだけではダメだという事実を踏まえて、外へと訴えかけていく事で物語が始まる。
若干『ラブライブ!』に依存している部分を感じなくもないが、これもまたシリーズの二作目になるかもしれない本作にしか出来ない事だろう。

0から1に。
その言葉を合言葉に頑張ってきたAqoursはここから始まるのである。
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